虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

消費者は加害者である

これは、私と私の友人との間の、過去の出合いのころから感じていた心理です。私は卒業論文を書いていた時期で、彼とは某自然食レストランで出会ったのです。「トリハロメタン(水道水が塩素殺菌で処理されたあと出来る副産物。クロロホルムが代表的)」の恐さがまだ一般には知られていなかった頃のお話で、彼は友人とこの問題について議論していました。「面白い奴」と思い、彼に声を掛けました。こうして知り合ったわけです。
 私は当時、そのレストランのとなりにあった「自然食の八百屋」でアルバイトしていて、チェーンでやっていた八百屋で、その機関紙にエッセイ「水ってなあに?」を連載していて、彼もそれを読んでたいへん驚いたとのことです。
 彼のとった行動もユニークなものでした。自動車運転がうまい彼は奥多摩にある滝に水を汲みに行ったのです。ポリタンを何個も一杯にして家に持ち帰るのです。日用の水を確保するのに、そこまでやるか!?というわけです。・・・それは自らのまわりのトリハロメタンには片が着くでしょうけど。・・・
 私はそのエッセイで地下水、表流水なども包括的に扱っていました。そして私は「自分の身のまわりの環境を変えていくことしか、水の問題は解決しないという考えかたであり、トリハロメタンを発生させなくても、自動車で水くみすれば、環境にたいする負荷は同じかそれ以上になってしまいます」。友人の取った自動車による水くみは、私とはベクトルが正反対なのです。

スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化 (平凡社ライブラリー)

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 以上のお話を振り返りますと、彼が取ったのは「消費者=加害者」という立場、私は「被害者=告発者」と言ってもいいかな、と思います。そして「消費者=加害者」は「商品」の価値だけは享受するけども、「マイナスの効果」は「被害者=告発者」が受容せざるを得ないのが公害、環境問題のメイン・テーマなのです。なにもしていないあなたでも、実は「加害者」なのかもしれませんよ。あなたが使っている「携帯」は、どこかの国から鉱物を略奪されたものかもしれません。また、消費者は、商品の選択が自由にできる王侯貴族なのです。今のアメリカや日本のように。そのような人には例えば「野草」などは無意味で無価値の存在に過ぎません。もし使うのがいやなら、他の商品と取替えれば済みます。だから「水」にあってもトリハロメタン・フリーの「ミネラル・ウオーター」が商品になるわけです。そして汚水をどんどん垂れ流すのです。その負荷は、下流の人が飲むのです。勿論「水処理」を施しますが、現在の技術は不完全で(私は永遠に不完全だと思いますが)、被害者は、蛇口から出る「水」を飲むしかありません。私なら、ためらわず、被害者の立場を取ります。他人が排出したものが混ざった、汚れた「水」を。また、食べるものがなければ、「野草」を食べなければなりません。ミネラル・ウオーターには私は手を出すことはないでしょう。


今日のひと言:いま、私と彼は友人ではなくなっています。まるで「熟年離婚」のようなものでした。私が「野草を食べる・JIMI(滋味)!!」を書こうとした際、「あれは毒草、これも毒草」と決め付けてくれました。どうも「野草」という存在が嫌いなようなのです。そう、お金に困っていた時期に野草も食べなければならなかったことがトラウマになったようですが。そう思考するのなら、毒成分に関し、野菜のジャガイモだって、フキノトウツワブキだって、持ち合わせていますからね。そして野草の立場こそ、被害者のものなのです。




空き地でふるえるタンポポ。そのように生きたいものです。



なお、彼とは、友達でいたりいなかったりしましたが、初めのとき「僕はハコベに生まれ変わりたい」と彼に手紙を送って、別れを告げましたが、彼には、この言葉の意味が最後までわからなかったのではないか、と思っています。