私は大学時代、マンガクラブに所属していて、少女マンガも読んでいました。なかでも隆盛を極めていたのが、「男性の同性愛」をモチーフにしたマンガ群です。萩尾望都「トーマの心臓」とか竹宮恵子「風と木の詩」などです。私も大学初年度にはこの「男性の同性愛」の嗜好がありましたが、一時的なもので、その世界からは離れました。
ここでいう「腐女子」という方々は、「男性の同性愛」のお話にのめり込み、妄想をめぐらす女性たちのことを指します。幾分か自嘲的なヒビキがあります。似た言葉に「やおい」というのもあります。「やまなし・おちなし・いみなし」の頭の文字を取っているのですが、同人誌に、たとえば「キャプテン翼」のミッドフィールダー大空翼とゴールキーパー若林源蔵の「愛」の絡みを書き、その同人誌も市場価値を持つ、といった具合です。
男性である私の場合、「女性の同性愛」にはあまり興味はなく、なぜ「腐女子」たちが「男性の同性愛」にこだわるのか、不可解でした。男女差か?そこで「オタク女子研究 腐女子思想体系」(杉浦由美子:原書房)を読んでみました。
いわく、女性は別に男性に劣等感を持っているわけではなく、「男性の同性愛」をいわば「別次元のできごと」となかば客観的にとらえた上で妄想の世界に遊び、「萌える」のです。現実生活上では男性と普通に恋愛もするし、はっきり「腐女子」と第三者に解るような生活パターンは持たないということ。妄想と実生活は「別腹」と割り切っているわけです。これが事実かどうかは、オタクでも腐女子でもない私にはわかんないですーー。男性の場合はこんなダブル・スタンダードは不可能でしょうね。そして妄想と現実の区別がつかなくなり、性犯罪に走る・・・ああ、恐ろしや。これは目からウロコの見解です。
男性のオタクより腐女子のほうが実数が多い、という衝撃的な主張もあります。
それにしても、絡ませあう男性は実在、非実在は問いません。たとえば小沢一郎と小泉純一郎のSEX、亀田興毅と亀田大毅のSEX、あしたのジョーと亀田興毅のSEXなども出来るでしょう。主な役割としては「受け」「攻め」があり、これは「攻め」が男性役、「受け」が女性役となります。小沢一郎にいたっては「総受け」になるのだそうで。この概念は易経(えききょう)の「陽爻」・「陰爻」にも通じるものがあるかも知れません。だから深い妄想もできるのかも。ちゃんとストーリー性も重視し、男性のようにただ性欲の発散のための話では満足できないらしいです。
腐女子の持つ妄想力はバカにできないものがあるようです。