虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

理屈が通らねえ(by岩井三四二):書評

 岩井三四二(みよじ)氏は、主として時代小説を書きます。それも上質な。彼の作品に登場する人物たちは、おそらく「架空」の人物たちですが、あたかも実在の人物が活躍するかのような話が多いです。そして、一種のリアリズムを感じます。


 岩井三四二氏の経歴は1958年生まれ、一橋大学経済学科卒業。文学賞をいくつも受賞しています。たとえば松本清張賞とか。1960年生まれの私と同世代の人です。


 さて、今回とり上げる「理屈が通らねえ」は、江戸時代の算法家・二文字厚助が、「十字環:じゅうじかん:ドーナツ型の立体があり、これに十字に交差した円柱がくっつくといった形」の体積を求める難事業に挑み、近似値は出せたけれども、上方からやってきた安藤曲角がより精密な解答を出して立ち去ったというので、「これはほっとけない、追いついて算法勝負をしなくてはならない」として、追跡をしているというお話でした。なお、厚助は武家の3男坊、家を継げる見込みはほぼ皆無で、その分、算法で身を立てようと思っているようです。


 最後に安藤に出合い、「なるほどスゴイ解だ」と納得して話は終わりますが、(綴術:てつじゅつ)を二度適用するという・微分法の二次導関数をもとめる手法で解いたというのですね。


 もうお分かりのように、算法とは、今で言う数学のことです。


 数学という学問は、ほとんど全ての学問の基礎になりますが、その価値はなかなか理解されません。似非作家の三浦朱門のような馬鹿が「妻(曽野綾子)が日常生活で二次方程式を使う機会はない、だから解の公式を教える必要はない」と抜かしたことは、私は決して忘れません。


 あるいは、「数学の帝王」と呼ばれるC.F.ガウス(1777―1855)も、その名を揚げたのは、数学でではなく、天文学小惑星ケレスの軌道を決定したことにありました。


 それでも、厚助の場合、金をもっていなくても、宿には困りませんでした。それは「読み、書き、ソロバン」という基本的な教養を教えるとか・・・加減乗除、開平(平方根を求めること)、開立(立方根を求めること)・・・など。ソロバンで、平方根、立方根の計算ができるのです。算法家には結構需要があったのですね・・・と考えさせられます。ことに生活が掛かるときの公平な判断は、算法が必要なのでしょう。領地争い、水争い・・・抽象的でありながら、現実の問題に適用できるのが数学(算法)なのですね。


 岩井三四二氏のスゴイところは、この作品の時代の算法事情を調べ上げ、ほんとにそんな勝負、騒動があったかも知れないと思わせてくれる点ですね。数学者の需要は、江戸期に結構あり、純粋数学というより応用数学が求められていたことも同時にわかります。十字環という図形は、実在の和算の大家・関孝和が実際に取り組んだ難問だったようです。
 

今日のひと言:岩井三四二氏の作品を読むのはこれで2冊目ですが、先に読んだ「たいがいにせえ」という短編小説集にも、無名の人物群だけど、こんな人たちもいただろうね、という感想を持ったものです。その無名の人々の行動を活写するという意味で、有名人に寄りかかった凡百の作品をそのレベルで凌駕すると思われます。


 岩井三四二氏の「理屈が通らねえ」、評価は100点満点で85点くらいでしょうかね。いい作品です。角川学芸出版(2009.7.17初版:本体1800円)

参考過去ログ:時代小説と歴史小説
   http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090506

たいがいにせえ (光文社時代小説文庫)

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例題で知る日本の数学と算額

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