虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

石川淳とシャルトリューズと狂風記

 私がこよなく愛する酒に「シャルトリューズ」(リキュール)があります。フランス東南部・アルプス山中にあるシャルトリューズ修道院で数百年に渡って造られてきた銘酒。この酒について、以下のようなオマージュがあります。

 こういふものを二杯以上のむバカはない。その一杯か二杯にしても、立ちながらにぐっとあふったのではなんの変哲もない。焼酎でものんだはうが気がきいてゐるだらう。ただそこに居ごこちのわるくないソファがあって、目のまへに大きいガラス窓があって、窓の外は巷のけしき、巷にはさみだれが霧のやうにふっていたとすれば、ひとりでゆっくりたのしむために、しぜんゆっくりのむことになるが、シャルトルーズの青という酒はぴったりして、今日は知らず、以前はそれが適してゐたやうである。このとき、その場に身を置くと、しゃれにのむという料簡はすでにしゃれといふものですらなく、ほんの一杯か二杯の時間はたちまち止まって永遠にひとしい。


リキュールブック:柴田書店福西英三 P235

この素敵なオマージュを書いたのは作家の石川淳氏。彼は東京外国語大学フランス文学科卒業なので、フランス名産のシャルトリューズにも造詣が深かったのでしょう。この酒には大きく2種類あり、シャルトリューズ・ジョーヌは40度の黄色い酒、シャルトリューズ・ヴェールは55度の緑の酒。上の記述では、ヴェールのことを指しています。

過去ログ:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070228
     酒2題――ミードとシャルトリューズ・その悦楽


 このオマージュには中々に感動したので、芥川賞作家でもある石川淳氏の作品「狂風記」を読んでみました。この本は、集英社が出版元の上・下巻計900ページあまりの作品で、一大快作にして一大怪作です。


 初めに、マゴ(♂)とヒメ(♀)の出合いがあります。廃品の山になっている「裾野」という場所で、スコップ片手に地面を掘ることを生きがいにしているマゴと、「謎の」リグナイト葬儀社を営むヒメ。


 そこへ、何者かが死体を遺棄しに来ます。この仏さまは柳商事社長の柳鐵三(やなぎ・てつぞう)であり、その背後には巨大財閥をめぐる親類・縁者の暗闘がありました。主に3つの陣営に分かれて、騙しあいの絵図が描かれます。


 ヒメは、配下のものたちを駆使して、この醜い暗闘に加わります。四つ巴の争い。そして、ヒメは魔法使いなのでした。


 マゴは、自分のことを「のらイヌ」と称していました。彼の家紋は「イヌの歯型」をあしらったもので、ヒメの見立てによれば、マゴは天皇家に由来をもつ家系のものであると言うのです。イチノベノオシハノミコ。そして、この物語の「狂風記」という題名は、マゴに従う「野良犬」の霊が具現して虚空に向かってほえるということが起源でしょうか。

 マゴはヒメの股のあひだに挟みつけられて、ものもいへず、身うごきもできず、吐きかけられたことばの火に焼かれるままになつてゐた。ヒメもまたみづから燃えあがつて、からだをよぢらせながら、

 「茂助の系図に歯型がついたように、今あたしがミコの霊になり代つて、おまへの肉に刻印を打つてやる。乗り憑りの誓のしるし。肉はおろか、たましいの奥底までも。」

マゴのはだかの肩にがぶりと噛みついて、肉に食ひこむほど深く歯を立てた。にじみ出た血がそこに歯の跡をしるした。今の一瞬にいつまでも消えない因縁の封じめをつけたやうであった。
 
 とたんに、下から刎ねかへして来た力に、ヒメはさかさにのけぞつた。マゴはあへぎながらむつくりと起きあがつて、ことばはもどかしく、ヒメの手をつかみ足をつかみ、ばたばたするからだを横抱きに、ソファからずり落して、床にころがし、押し伏せた。女の着たものをぐいと剥ぎ取ると、千何百年の歴史をその場に巻きかへしたにひとしく、床は荒野であつた。荒野の土に、吐く息いらだつて、女のはだかの尻がなめらかに白く光った。その光るものにむかつて、山犬が牙を鳴らして襲ひかかるやうに、マゴは猛りくるつて飛びつき、かぶりついて行つた。あかりが消えた。ずつしりした闇の中に、男女ともに発する感きはまつたさけびがあからさまにあがった。

狂風記・上巻」:集英社  P344−P345

こんなような記述で話は進みます。

 マゴはヒメと頻繁に交合SEX)します。するごとに、マゴはより逞しく、ヒメはより若くなっていきます。そして、マゴはヒメから「口移し」に魔法を伝えられます。ただマゴは、土を掘りトンネルを作り、自分の世界に沈潜し、自分の過去を知ろうとします。その穴がまるでタイムトンネルであるかのように。(実際そうらしいですが。)


 超自我というものに目覚めたマゴに対し、ヒメは彼からエネルギーをもらい、死体遺棄事件に集中します。


 そして、この事件は一応の解決を見るのです。リグナイト葬儀社から見れば、いろいろあるケースの一例に過ぎないのでしょうね。


今日のひと言:この作品、ミステリーかと思えばそうではなく、魔法の驚異・・・「のらイヌ」の力を語ったものかと思われます。ボスキャラ・鶴巻大吉に強姦されそうだった、ヒメの配下・マヤに閉じ込められていた「のらイヌ」が大吉の下腹部に噛み付くというエピソードもあります。魔法的世界観・・・この作品を貫く価値観だと思います。


なお、この作品は1971年から1980年まで、足掛け10年かけて作られた作品です。漢字は旧字体・歴史的かな遣いながら、当時の若者におおいに支持されたそうです。ただ、残念ながら、狂風記雑然間延びしていて、傑作とは言いがたいと思います。柳商事に関わる登場人物が多すぎるからかと思われます。


なお、マンガ家で「いしかわじゅん」という人がいますが、もちろん別人です。


石川淳氏(1899年(明治32年)3月7日 - 1987年(昭和62年)12月29日)は、日本の小説家・作家。東京府浅草生まれ。本名淳(きよし)。(←この部分、wikipediaより。)



今日の三句


五分咲きや
桜見守る
大光院


大光院群馬県太田市にある徳川氏ゆかりの大寺院です。写真の中心の緑青の屋根がそう。川は八瀬川。桜、五分咲きが好きです。

  (2012.04.06)



出てきたか
諦めていた
コゴミかな


昨年、庭の木の陰になってしまい、途絶えたかと思っていたコゴミ(食用山菜)が小さいけれど一本出てきました。
 
   (2012.04.09)



咲いている
時だけよろし
ハクモクレン


ハクモクレン、純白の花は美しいけれど、散り際は真っ茶色になってどうも美しくありません。


 (2012.04.09)

追記:hatehei666さんとコメントをやり取りして気づいたことがあります:ハクモクレンは「美しい」。純白な神々しい花も、地面に落ちて汚い花も、ともに世の中の真理を語っているのではないか、と。どちらの姿も、神の配剤なのではないかと思うのです。天にあるのが花盛りの花、地にあるのがうらぶれた花。老子なら、「いずれの姿も宜しい」と言うかも知れません。


地に落ちた
花も美し
ハクモクレン
    (2012.04.11)


リキュールブック

リキュールブック

狂風記(上) (狂風記) (集英社文庫)

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石川淳短篇小説選―石川淳コレクション (ちくま文庫)

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