虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

菱田春草の猫〜明治画壇の華

     →「黒き猫」(重要文化財
 菱田春草(ひしだしゅんそう)は、岡倉天心の愛弟子で、横山大観、下村観山の兄弟弟子であって、明治期を代表する日本画家です。


 かれは、並ぶ木々の間に落ちた葉を好んで描きました。「落葉」の連作があります。代表作として、1909年(明治42年)に描かれたものがあります。なお、彼は目の病に冒されていて、その治療中に描かれた作品なのです。


ただ、幹がまっすぐに立った木を描くことが多いのですが、「黒き猫」の場合は、幹が曲がった木を描いています。
 このように描くと、なにか生き物が休める場ができるでしょう?菱田は、そこに黒猫をもってきたのです。猫という生き物は、上下自在に動ける生き物なので、このカシワの木(葉っぱを見ればわかる。カシワモチの葉っぱですね。)の天辺までいけるだろうし、木を降りることも可能です。また、この猫を「魂」に例えると、画面から見るものに迫ってくることも可能で、画面からウラに消えることも可能です。そうです、春草は自由闊達な「魂」を描いたのです。
 次の一瞬、どうなるのか、と、目を凝らして、私はこの絵を読み解きます。
猫は縦長の画面の、下3分の1の位置におり、そこから上の3分の2はカシワの木が支配する空間です。画面に描かれていない部分も結構あります。
 なお、秋に描いたのか、カシワの木の葉は一部青みを帯びていて、ところどころ虫食いもあります。そこまで細心に、素材を扱っているのです。


 日本絵画は、ある意味、コラージュの技術を世界に先駆けて導入したのでしょう。西洋絵画であれば、背景まで絵に書き込むのでしょうが、日本絵画の場合は、画面構成に必要なものだけを取り上げるのではないでしょうか。「黒き猫」の場合、「猫」と「カシワの木」だけを要素にして、絵が作られているのです。
 このような描き方は、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」にもみられるものです。
 私は以前「宗達の犬」というブログをエントリーしましたが、今回は「春草の猫」と呼ぼうと思います。
  宗達の犬:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070912


 また、こぼれ話ですが、黒猫は近所から借りてきて写生をしたのですが、その猫がしょっちゅう逃げ出して困ったということです。(デアゴスティーニ:アーティスト・ジャパン31巻より。絵も)その製作は1910年、彼の死の1年前でした。

それにしても、彼は文展にあわせて5日間だけでこの「黒き猫」を書き上げたそうです。5日間だけの急ごしらえの絵が、最高の作品である、と私が評価したら、彼はどう思うでしょうね。 

        この黒猫は、春草自身の魂そのものとでも言えるかと思います。

今日のひと言:画家に眼病(春草、ルノアール)、作曲家に耳疾(ベートーベン、フォーレスメタナ)。芸術の神様は残酷ですね。

近代日本画、産声のとき―岡倉天心と横山大観、菱田春草

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菱田春草 (巨匠の日本画)

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