学び舎では、1対1のマンツーマン以外の授業形式は無効か?
私が幾多の生徒を教えた経験から、教育効果が最も期待できるのは、1対1のマンツーマン形式講義であり、またほとんどそれだけであろうと言える。
1対2であっても、生徒の学力向上にはつながりにくいのだろう。それはどうしてか?人間一人は、水素爆弾にも勝るエネルギー体である(相対性理論)。そんな人間が、その持っているエネルギーを交換し合う場こそが、教育現場であると私は憶測している。この場合、たとえ教師が聖徳太子並みのスーパーマンであったにせよ、2人の人間の持つエネルギーは、聖徳太子の情報処理能力さえ超えるのだ。だから、彼が一度に7人の話を聞き分けたというのは、たちの悪い冗談だと思う。
そのように考えると、1対多の講義形式の授業は、本当の意味では成り立っていないのだろう。そこはあるいは教授の自慢話が炸裂し、学生の雑談が飛び交う交歓の場であり、とても学問が成り立っているとは思えない。結局、マスプロ授業は「無意味、無価値」と言えると思う。
そうすると、いかにも私が「学校不要論」に立っていると、このブログを読み慣れた人は思われるだろうが、それは一面その通りで、且つ違う。欧米の大学に見られる「寄宿舎」と言う組織 とそこに存在するチューターという人員が、1対1(の授業の)不足分を補っているのでは無いかと思われるのだ。そうすると、その制度のない日本の大学は、教育機関としては大変心許ないものであろうと考えらえる。1対1,1対多の授業は、どちらも教育手段としては無効になってしまうのだから。
森下礼
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