虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

大河ドラマは、「人を描く」作品群だったはず(随想録―44)

大河ドラマは、「人を描く」作品群だったはず(随想録―44)


我が家の場合、よくNHK大河ドラマは観ていたが、「いだてん」以降のものは観ていない。詰まらないからだ。私は思うのだが、大河ドラマの出来のいい作品は見事に、「人」を書ききっていた。そんな作品として最後の光芒を放ったのが「葵―徳川三代」(2000年放映)だったと思う。ここで描かれていたのが、怜悧で優れた父:徳川家康と、跡取りとしては心許ない子:徳川秀忠の愛と葛藤の物語が展開されていた。ちょうど、中国・漢の歴史家:司馬遷の『史記』のような視点と言ったらよいのかな。


史記』の場合、時代を描くつもりで書かれたのではあるまい。司馬遷は人間を書きたかったのであろう。そのために彼は「紀伝体」という人で項目を立てる著述法を採用したので、従来の「編年体」という年代順に出来事を列挙する方式は影をひそめ、「資治通鑑」が登場する宋代まで、見習われていた。


もっとも、大河ドラマも、「人間を描いても」、詰まらぬ作品も多い。例を挙げれば「竜馬伝」と「青天を衝け」などだ。たしかに、坂本竜馬とか渋沢栄一を中心にドラマは進行するが、両作品とも、歴史上重要な他の人物と会ったとか、関ったという記載に満ちていて、「ああ、偉人だなあ、この人。」と視聴者に思わせるに十分だ。でも、ちょっと、そんな会合ばかり多く描かれると、「これは眉唾ものだ」。と考えたくもなる。実際そうだ。


いわば、これらの駄作(「龍馬伝」「晴天を衝け」)は、カンパニー、株式会社という言葉の価値を、吹聴する作品だと思わせるために制作されたのだ。つまりは人間ではなく、日本の「国是」を顕彰するための作品であり、いわば時代をえがくための作品だろうとかんがえられるのだ。だいたい、足尾鉱山という日本の公害の原点ともいえる組織を庇護し、銅山に銅像まで立っている渋沢栄一は、明治政府の走狗だったのだ。


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 (2022.07.13)






今日の6句


異なる葉の
フウセンカズラ
同定し



数年間名無しでしたが、写真を撮り、友人にスマホで調べてもらったら、やっと正確に解りました。

 (2022.09.03)



農薬も
掛からぬものか
コケ生きる



 (2022.09.04)



白雪の
舞うに似たるや
ニラの花



 (2022.09.04)



金木犀
いまだ開かぬ
香り門




 (2022.09.04)



オオバコの
繊細なる花
開きけり



 (2022.09.07)



シモツケ
愛らしい花
まとまって



 (2022.09.07)