安倍晋三元首相の「国葬」:ひろく葬式について考える(随想録―番外編)
安倍晋三元首相の「国葬」:ひろく葬式について考える(随想録―番外編)
安倍晋三が、生前行なっていた悪行の数々を考えると、彼に「国葬」を報いるのは、どうかとも思うし、安倍を暗殺した山上徹也に拍手を送りたいくらいだ。だいたい、モリ・カケ・サクラ問題などで、彼が国会答弁でついた嘘は100数回に上るというから、いかに安倍が国会・国民に不誠実に向き合ったかが解ろうもの。ましてや、まやかしでしかない「アベノミクス」で日本の国力をいかに削いだか、計算もしようがない。
さて、たいていの国は、国葬と言えば「政治家」「軍人」を対象にすることが圧倒的に多い。日本はもちろんそうだし、これは国葬の鉄則であろう。もちろん例外もあり、ジャマイカでは、レゲエ歌手のボブ・マーリーを国葬にしているし、「文化大国」を自認するフランスでは、ガブリエル・フォーレ(作曲家)、アナトール・フランス(小説家)、ポール・ヴァレリー(詩人)などが国葬にされている。もっとも、割り引いて考えると、彼らの芸術は、とてもフランスの一般庶民には理解されないだろうから、これはフランスの虚栄心の表明だと言っても良いかも知れない。
さて、我が家では、2人兄弟で暮らしているが、どっちが先に死んでも、葬式自体をやらない。死体は速やかに群馬大学医学部に引き取ってもらい、病理解剖に付されたのち、焼いた骨を、共同骨置き場に置く・・・それだけのことだ。別れの挨拶も、「お迎え」がくるまでに済ませるのだ。このような一連のプロセスを「献体」と呼ぶ。我々は、葬式に纏わるようなどんな宗教も信じていない。まあ、そう宣言されて、「我々の宗教こそ、葬式には関係ありません。」と言える宗教団体も、たぶんないであろう。
(2022.08.27)