張良と陳平:漢の高祖(劉邦)を支えた2人の軍師(随想録―31)
張良と陳平:漢の高祖(劉邦)を支えた2人の軍師(随想録―31)
かなりレベルの高い歴史小説を書いた司馬遼太郎さんの『項羽と劉邦』では、主役の2人の人物造形が的確で、項羽は勇猛・果断でとにかく戦のプランとか実行力に長け、一人で戦争を遂行できる体の武将でした。貴族の出。もっとも項羽には優れた軍師:范増(はんぞう)がいました。一方の劉邦は、「大きな穴」のような人で、ひとりではなにも出来ない木偶の坊(でくのぼう)です。たんなる平民。でも不思議な人徳があり、周囲に優秀な人材が集まる人でした。秦の始皇帝を暗殺しようとして失敗して逃げてきた人がいたり、項羽のところから、「ここでは芽が出ない」と鞍替えした者もいたり、と。前者の代表が張良(BC251-BC186)であり、後者の代表が陳平(?-BC178)です。
この2人、特長(持ち味)は異なりますが、共に劉邦の中国統一に資したのは間違いありません。
張良は、病身で、女性的な面持ちの優男です。劉邦に言わしめた言葉が
「謀(はかりごと)を帷幕(いばく)の中に運(めぐ)らし勝つことを千里の外に決す」
張良は戦の実戦そのもので功績を挙げるタイプではなく、戦争の有様をプランニングすることの天才だったのです。若い頃の逸話として、無理難題を言ってくる、わがままな老人の世話を最後まで見た見返りに兵書を与えられたと言います。それが何であったか、六韜(りくとう)だったか、奇門遁甲(きもんとんこう)の書だったかは、定かではありません。劉邦の参謀として、張良は、劉邦の行いの可否について、いろいろな論点から諌めることが多かったですが、劉邦はその都度、納得して張良の諫言を受け入れたようです。それほど劉邦の信頼が厚かったというわけです。覇者のアドバイザーと言ったところでしょうか。張良自身は、漢による天下統一後、病没します。
陳平は、また一味違う男でした。大男で、策略、謀議を得意としていました。項羽と劉邦の会見の場「鴻門の会:こうもんのかい」で、劉邦の暗殺を企図した項羽方の軍師:范増を、項羽と別れさせることに陳平は成功します。劉邦にとって危険な人物を、謀略により完封することに成功したわけです。孫子のいう「戦わずして勝つ」をやってのけたわけ。范増という頭脳を失った項羽は、それでも劉邦軍に勝ち続けたのですが、いったん和睦して両軍兵を引き上げた際、陳平は張良とともに、項羽を討つことを建言し、垓下の戦いで漢軍は、最初で最終の勝利を挙げ、項羽は自刃します。これで天下は漢の物になった訳。
陳平の活躍はこれに留まりません。劉邦の死後、外戚の呂氏一族が、劉氏から政権の実権を握ろうとした際、見事な作戦でそれを阻止し、呂氏を一掃し、天下の大権を劉氏に戻します。(「左袒:さたん」という故事成語の元になりました。)ただ、自分が謀略の士であることに、陳平は将来の子孫の行く末を案じ、「わが血統は途絶えるだろう」という悲しい予想をしていましたが、それは的中しました。
今日の詩(散文詩)
@我が家は猫を飼わない
家の庭が気に入ったのか、母猫が3頭子猫を生んだ。むかしなら、「不憫」だと飼ったり、餌をあげたりしていたが、今回以降は違う。可愛いと思ったうえで、「放置」しておく。
なんにも世話をせずに、彼らの一生の傍観者になる。実際、3頭は、現在1頭に減った。子猫は極めて弱い存在なのだ。
触ることにさえ躊躇する。なぜなら、野性動物には怖いSFTS(致死率30%)という病気を媒介するマダニが取りついていることが考えられ、うかつに触れることさえ危険だ。
また、飼ったら飼ったで、動物が寿命を終わる際の獣医での医療費が莫大で、我が家にはその負担が過重なのだ。
植木鉢に入って
兄弟の死
その一頭も、7月1日に死んだ。弟によると、牛乳パックのゴミ回収ネットの中で死んでいたという。お乳が欲しかったのだ。無残。母猫はどうしていたのだろう。合掌。
(2022.07.02)
今日の6句
いちはやく
夏の装い
保育園
近所の保育園の花壇がマリーゴールドになりました。
(2022,06,19)
主不在
篠竹いばる
垣根かな
(2022.06.22)
良く伸びた
セイタカアワダチ
威圧する
(2022.06.22)
満天星(どうだん)の
枝に渡せし
ベールかな
蜘蛛の巣が水滴にひかり。
(2022.06.24)
細密な
石刻なりし
墓石かな
(2022.06.25)
芯からも
茶色になりき
紫陽花(アジサイ)か
アジサイの終焉。
(2022.06.25)