ネルヴァルの「ファンテジー」:時空を超えたデジャ・ヴュの詩
ネルヴァル(wiki)→
私は大学生時代、東京大学理科一類にいたのですが、理科系に失望して、フランス文学科に進みたいと思い、第三外国語でフランス語を履修していました。(第二外国語はドイツ語)そして、フランス詩を読み解くという趣旨のゼミに顔を出し、近代、現代にわたる詩を学びました。なかでも、印象に残っている詩の一つがジェラール・ド・ネルヴァルの以下の詩です。
ファンテジー
ひとつの調べがあり、そのためになら私は捨ててもかまわない
ロッシーニの、モーツァルトの、ウェーバーのすべてでも。
それはたいそう古く、物憂く、傷ましく、
私にだけは、密かな魅惑の力を持つ調べ。
どうかしてそれを耳にする度に、
二百年も昔へと私の魂は若返る。
そこはルイ十三世の御世・・・私には見える気がする
入り日に黄色く染められて、緑の丘がひろがるのが。
次いで角角に石を組み込んだ煉瓦の城館、
赤味がかった色に輝く焼絵硝子の窓を持ち
巨大な庭園に囲まれて、一筋の小川が
その足もとをひたしては、花々のあいだを流れている。
それから一人の貴婦人が、高い窓辺に、
瞳は黒く、ブロンドの髪、昔の衣装を身にまとい・・・
おそらくはいつか別の世で
私がすでに会った人!――それでいまも私の思い出に浮かぶ人!
「フランス名詩選」(岩波文庫P98−P101:渋沢孝輔 訳)
この詩については http://d.hatena.ne.jp/iirei/20141015#1413366802
のコメント欄でも取りあげました。
この本は対訳式ですので、原詩も記載されています。
Fantaisie
Il est air,pour qui je donneraid
Tout Rossini, tout Mozart et tout Weber;
Un air tres vieux, languissant et funebre,
Qui , pour moi seul a des charmers secrets.
Or,chaque fois que je viens a L’entendre,
De deux cents ans mom ame rajeunit;
C’est sous Louis treize・・・Et je crois s’etanbre
Un coteau vert que le couchant jaunit
Puis un chateau de brique a coins de Pierre,
Aux vitraux teints de rougeatres couleurs,
Ceint de grands parcs , avec une riviere
Baigrant ses pieds , qui entre des fleurs.
Puis une dame, a sa haute fenetre,
Blonde aux yeux noirs, en ses habits anciens・・・
Que, dans une autre existence peut etre.
J’ai deja vue! ―et don’t je me souvients!
(注) 私が使っているPCでは、アクサン記号などがうまく変換できませんでしたので、ネイティヴな人が読んだら、ちょっと読みにくいかもしれません。
ネルヴァルという人がどんな人かと言うと、wikipediaではこう記載されています:
ジェラール・ド・ネルヴァル(Gérard de Nerval, 1808年5月22日 - 1855年1月26日)は、19世紀に活躍したフランスのロマン主義詩人。その詩作品には、象徴派・シュルレアリスムの要素が認められ、20世紀後半より見直された。
ゲーテの『ファウスト』を紹介・訳し、『ドイツ詩選』を著し、新しいドイツ文学の紹介者としても活躍した。1855年、首を吊って自殺した。主な作品に『火の娘』、『オーレリア、あるいは夢と人生』、『ローレライ』、『幻想詩集』などがある。
象徴詩、シュルレアリスムなどの先駆者とされる詩人であるとともに、破滅的な人生を送った人であるとの感を持ちます。私が今回挙げた「ファンテジー」の場合、「愛しき女性の姿を、200年前の王朝時代にまで遡り、デジャ・ヴュ(:いつかどこかで見たか聴いたかという錯覚にして、本人にとっては現実)として強く意識しているのですね。おそらく、大概の人も、このデジャ・ヴュを一度ならず体験しているのではないでしょうか?
それにしても、ネルヴァルのこの詩は美しいイメージを持つと同時に、空恐ろしいネルヴァルの終焉を告げるものであると思われてなりません。
今日のひと言:詩人、特に近・現代のフランスの詩人たちは、詩の世界に前人未到の境地を開きましたが、ボードレール、ランボーなど、ちょっと先人のネルヴァルのように破滅的な人生を送っていたのですね。魔酒・アブサンを飲みながら。なお、ついでに思いついたのですが、ネルヴァルは、ユング(精神分析家)のいう、アニマをこの幻視の中に見ていたのかも知れませんね。(男性であれ女性であれ、心の中に2つの性・・・アニマ=女性、アニムス=男性を抱えているという事態)。ネルヴァルが見たのは、自分の分身であろうか、ということです。
ここで、ちょっと思い出したのが、日本の、万葉歌人・柿本人麻呂の長歌です。
石見(いはみ)の海 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に か青く生(お)ふる 玉藻(たまも)沖つ藻 朝羽(あさは)振る 風こそ寄らめ 夕羽(ゆふは)振る 波こそ来(き)寄れ 波の共(むた) か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜(つゆしも)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに 万(よろづ)たび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は離(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹が門(かど)見む なびけこの山
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/mny0202.htm より
この「最後の2行」では(一目恋人を見たいので)「なびけ この山」という出来もしないことが念じられています。ネルヴァルの詩は時間を、人麻呂の歌は空間を、力づくで捻じ曲げたい、という強固な意志を感じます。それほどに、恋人を深く・情熱的に愛していたのでしょうね。
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今日の一品
@鍋
冬の定番、美味しい鍋。我が家では牡蠣(カキ)を中心にして、水で煮、ポン酢で食べます。通常は牡蠣の他、白菜、春菊、シイタケ、シラタキ、鱈(タラ)、豆腐などが常連です。今回は特別にイカの練り物、エビも加えました。
(2016.11.14)
@ニラレバ炒め(=レバニラ炒め)
ニラ、レバー(特に豚レバー)、クコの実、卵はどれも「目」の健康に良いとされます。今回はすでに味が付いていたレバーを買ってきて、ニラ、クコの実を配し炒めました。「天才バカボン」の「バカボンのパパ」の大好物ですね。
(2016.11.15)
@薄切りキクイモの炒め物
弟作。表題の通りですが、味付けは塩、七味唐辛子でした。キクイモはその名の通りキク科の野菜ですが、キク科の植物・・・レタス、ヤマクラゲ菜、キクイモには噛むとシャキシャキ感があるものが多いですね。
(2016.11.15)
@鶏モモ肉のクレイジーソルト・マヨネーズ焼き
弟作。切り分けた鶏モモ肉に、クレイジーソルトとマヨネーズを掛け、オーブントースター180度で10分ほど加熱しました。
(2016.11.18)
今日の二句
七日来ず
刈り取られたる
稲の穂や
内視鏡検査の前後、犬の散歩には行かなかったのですが、今朝久しぶりに行って。この田は、一番最後まで稲刈りをしていませんでした。これで、田によっては麦の季節になります。
(2016.11.16)
大根葉
初にしらじら
霜が降る
この季節、初めて降霜を確認しました。
(2016.11.18)
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