虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

山に向かうように道は出来る?

 今回ブログは、私の思いつき、ないし憶測に過ぎないものですが、案外ありそうなので幾つかの例を挙げ、簡単に考察してみます。


 群馬県太田市から伊勢崎市に向う途中、「浅間山:あさまやま」が正面に見えます。あたかも、浅間山に向っているようです。


 また、太田市の某県道では、ちょうどこの道が「赤城山:あかぎやま」に向うように思われますし、館林市の某国道では、その道が「男体山:なんたいさん」に向うように思われます。なお、私の家の真北には「皇海山:すかいざん」が聳えています。もちろん、道は必ずしも真っ直ぐに伸びるものではありませんから、同じ道であれ、周りくねって山には向って見えないことがあるのは当然です。



赤城山に向かうような道



男体山に向かうような道



 顕著な例としては、東京都国立市の通りで、「富士見通り」という道があり、都市計画して建設された国立市の場合、初めから富士山に真っ直ぐに伸びる道を建設したのですね。これは、間違いなく今回のテーマどおりの事例ですね。


 さて、なぜ道は山に向うように見える例があるのでしょう?・・・それは人が山岳に抱く憧憬畏敬の念などからあるのかも知れません。山岳信仰。・・・実は、今回の発想、ブログ仲間の方(id:hatehei666)さんのコメント欄に初めて書いたのですが、そのコメントについての(id:nankai)さんのコメントで、「むしろ、山の中の道が延長されて来て、山から道がくるところを山に向っているように見えるのではないか」とあって、これもなるほどなあ、と思いました。


 どっしりとした山に向っていると、道行く人の気宇も壮大になる気もしますね。市街がぎちぎちに固定されていたり、新規住宅が増えてくると、それらが撹乱要因になって、はっきりと山が見えなくなります。

私は無秩序な宅地開発には反対の立場です。私の家の北方に見える「皇海山」も、ここ数年の宅地開発で見えなくなってしまいました。それ以前は山容がはっきり見えたのですが、今では山頂が辛うじて見られる程度です。山を気にかけない人は、結局自分の有り方にも気をかけないように思います。そんな人には、山岳への憧憬、畏敬がないのでしょうね。



 今日のひと言:昔の人は、「借景」といって、山水をありのまま庭の一部となし、人為と自然を融合させて家を作りました。その精神世界の豊かなことと言ったら!!


日本百名山 (新潮文庫)

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山岳信仰と日本人

山岳信仰と日本人

借景

借景


今日の料理


イイダコの煮もの・ポン酢+ワサビ味


生イイダコ(飯蛸



茹でイイダコ



イイダコが珍しくスーパーの店頭に並んでいたので購入しました。産地は香川県。亡父のお気に入りの食材の一つで、最近入手しにくくなりました。ほかにサヨリナマコ若狭の小鯛笹漬けなどもそうでした。父とのあいだには大きな葛藤がありましたが、今となっては懐かしいです。さて、イイダコに戻りまして、湯がいて冷水に晒し、ポン酢+ワサビで食べました。案外ゲソに弾力性があるのですね。ちょっと噛みきりにくかったですが、美味でした。 

 
ところで、この商品、4匹入りで398円でした。一匹あたりほぼ100円、案外高かったですね。

(2013.10.08)



@大豆もやしのゆかり和え



大豆もやしは、ほかのもやしとは異なり、5,6分ばかり茹でて使わないと栄養分がうまく体に吸収できません。ただし茹で汁は、スープとして使えます。もやし自体は黄色い豆でそれと補色関係になる紫色の「ゆかり」を和えて一品、茹で汁は味噌汁のベースにしました。



シイラの煮つけ



この2mにもなる大型の魚は西日本ではよく賞味されるようです。ハワイでは人気の魚で「マヒマヒ」と呼ばれるスズキ目の魚・・・美味しいわけだ。煮つけにしたのは、パッケージにそうあったからで、じつは色々な料理に向くようです。ムニエルなど。味は「ブリ」に似ているようです。