虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「驚きの介護民俗学」(書評)

以前、pc50さんが取り上げられていた表題の本、面白そうなので私も図書館の相互貸借で借りて読んでみました。

http://d.hatena.ne.jp/osamu-y/20120520  「驚きの介護民俗学


 この本、なにより書いた人の経歴がユニークです。六車由実(むぐるま・ゆみ)さん、民俗学の研究者で、東北芸術大学芸術学部准教授を務めた人で、考えるところあり、この職を辞し、介護の現場に踏み込み、現在静岡県特別養護老人ホームに介護職員として奉職されています。(出版元:医学書院・2012.3月5日初版発行)


なんだか、畑違いのような気もしますが、六車さんは民俗学の武器・・・「聞き書き」を駆使して、コミュニケーションの取れそうもない、デイケア来訪者、入所者から驚くべき個人史を引き出すのに多々、成功しています。


ただ、この「聞き書き」によるアプローチは現実の介護現場の忙しさから、なかなか受け入れられないようです。そこでは「回想法」という手法が採られ、この場では「メモを取らないこと」(聞き書きではメモは不可欠)「1クールのまとまった話題から外れないこと」(聞き書きでは脱線あり)などの制約があるようです。「どうせ、被介護者に論理的にまとまった話はできない」という先入観のもとに、この方法が推奨されるようです。また、臨床心理士によるカウンセリング、社会福祉士による「相談援助」とも異なるそう。前者は利用者の心の安定を図る目的があり、相談援助は利用者の抱える問題の解決を目的とし、いずれも関心の矛先は利用者の変化に向けられているそうです。


 そこでは話の聞き手が専門知識をもって利用者を教え導く役割を果たすことが期待されますが、「介護民俗学」での聞き書きは、そうではなく、利用者の心や状態の変化を目標とせず、社会や時代、そしてそこに生きてきた人間の暮らしを知りたいという絶え間ない学問的好奇心と探究心により、利用者にストレートに向き合うということになるそうです。この場合、被介護者が、それら貴重な体験を語ってくれる師ともなりうる、ということだそうです。


でも、介護現場の人の弁として、厳しい言葉を浴びせられることもあります。


話を聞くことが介護なの?私は長い間ヘルパーをしてきたけれど、じいちゃん、ばあちゃんはみんな話したくてたまらないのよ。それで延々と話をしてくるの。でもね、そんなことを本気で聞いていたら仕事がまわらないじゃない。だから適当にあしらうの。それに結構重たいこと話したりするのよ。でもそんなの聞いて気持ちが滅入ったら次の仕事ができないでしょ。だから、私はその人の家を出たら全部忘れるようにしていたのよ。

(P212)より。

なかなか手厳しい批判の言葉です。じつは、六車さんも、ルーチンワークに押され、ここに挙げた言葉が身にしみることもあったようです。


でも、六車さんの聞き書きについては、目覚しい成果を挙げることもしばしばありました。勝手な行動を取り、「不穏なひと」とレッテル張りされたおばあさん、なんと右耳から優しく話しかけると、言葉の意味が取れ、打ち解けました。


また、徘徊が酷い男性、「地名」のことにかけては記憶が抜群にある人でしたが、注意深い聞き書きの末、その事実が確認され、彼も居場所を見つけたようでした。


 そして、このように過去を思い出せた人に「思い出の記」という文集も出してあげるのです。なかなか愉快な試みです。民俗学では「言葉→人→過去」と事実を繋げて一つの学問体系になるのですが、六車さんは、うまく応用しているようです。ルーチンワークから一時解放されて、再び聞き書きをしてもいます。民俗学者としての矜持・知的好奇心が閃くときが、会心の時間のようです。


「驚きの」ということば、六車さんの民俗学者としての矜持・知的好奇心が閃くときに使われる言葉ですが、私は「ときめきの」と言葉を替えてもいいように思います。自己防衛している被介護者の心をほぐすとき、六車さんにとって「驚き」を感じるとともに「ときめき」をも感じるように思うからです。


参考過去ログ:つながりによって生かされる―「痴呆老人」は何を見ているか

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090819#1250660437



今日のひと言:「介護民俗学」というのは、おそらく六車由実さんの造語でしょうが、もしこの分野が世間に認知されれば、六車さんはまた大学で教鞭をとるようになるでしょうね。
先見の明のある人だと思います。



今日の料理

 セロリとハルノノゲシのミルク炒め

ハルノノゲシ

セロリは言わずと知れた香味野菜ハルノノゲシはキク科の苦さが持ち味の食用野草。切った両者をオリーブオイルと塩少々で炒めたあと、ミルクを加えてかき回し、完成としました。食べてみるとハルノノゲシの苦みがいくらかセロリの香味でマスクされ、乙な味になりました。
 同じく食用野草にアキノノゲシというのがありますが、ハルノノゲシは葉の軸の部分が赤みを帯びていて、そうではないアキノノゲシと区別できます。



Today’s poem


Esperanto


m   for  mama,
p   for   papa.


m is   closing   tone,

p  is  opening   tone.


That’s parents.



Nanao,you  are  always

The  papa  of all the  people!!


(rewrite)



サカキナナオ(ないしナナオサカキ)は世界を股にかけた詩人。おしくも4年くらい前に逝去されましたが、私が彼から受けた影響はとても強く、生前の彼に捧げた詩を書き直し(補充して)この詩を書きました。献じた当時は非常に短い詩で、そっけないものでしたが、ナナオ氏は大変気に入ってくれ、人伝手に「この人は詩人の素質がある」と太鼓判を押してくれました。


この詩のミソは、案外世界共通な父母の名称・パパとママの始まりが音の「m」と「p」に集約されるということにあります。「m」音はいったん音を吸いいれるもの、「p」音はいったん音を吐き出すもの、と言った違いがあります。


http://d.hatena.ne.jp/iirei/20101112#1289519036 :
私が出会った3つの大きな人格:サカキナナオ氏:槌田劭氏:丹下哲夫氏   参照

(2013.03.24)

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

犬も歩けば

犬も歩けば