虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト:色々な事物を取り上げます。

水って、なあに? (1)地下水は今

    


                  
(これから6話、私が1984年から1985年に渡って某ミニコミ誌に書いた記事を載せます。なにぶん古いですが、今でも一定の価値を持っていると自認しています。私の文章修行にあたる記事です。第1話。)


「何か、水の話を書いてくれ。」と「自然食の八百屋・P」のJに依頼されました。「うん。」そんで、初めて『K』に書かせてもらいます。まずは自己紹介から。何やかやと水の問題に首をつっ込んでから、足かけ四年目になります。その間下水処理場の水質分析をしたり、水問題の講座「シリーズ水」をやったり―――休み休み。乱丁だらけの本が、最後に装丁だけはつくろうように―――今に至っています。八百屋には「P」のLさんの口ききで「D農場」でやっかいになって以来、とってもお世話になっています。


さて私は、大学には理科系として入学しました。その時何の自覚もない学生でしたが、数学の一番最初の講義で「1たす1は2になる。」ことの証明をぶっきらぼうなある講師から聞いて以来、「なんか、おかしい。」―――文科系にひかれるようになりました。そして転科してフランス文学を専攻し、テーマは「アルフレッド・ジャリ(Alfred Jarry)」にする予定でした。専門はゆっくり選べた。ジャリは、前世紀末に今日の行きづまりをセックスという極めて人間的な行為において先取りした『超男性』を書いた人です。アル中で死んでしまいましたが。ジャリはすばらしい人だった。しかし志なかばで、無念の死を遂げた。―――私も一時期ジャリのままに生きようと思い、自分としてはできる限りの、ホートーブライの生活をしました。でも、私の限界か、息切れし、意気消沈して、いわゆる消去法で「水道局にでも勤めるしかない。」と思って今の専門を選んだのです。なんてことはない、みっともなさのかたまりでした。


 でも私はここで、二人の師を得ました。宇井純氏と中西準子女史。二人とも大きすぎて、ザコが支配する今の大学の中では教授になれず、助手のままですが。―――そこで、私はいかに「水」が大変なものか教えられたのです。ここでは「原発」と対比して考えたい。一つには原発は電力会社の犯罪ですが、「水」は国家の犯罪だという考え方。(著者=筆者注:3.11を経験したいまでは原発も国家の犯罪の要素が強いです。この記述は私の勇み足でした。)水は、太古から国家存立の基本でした。例えば三多摩が東京都に入っているのは、多摩川管理の政府の一方的な要求からでした。火はなくても、人は生きられます。しかし水がなければ、一瞬たりとも生きられません。今、水の問題は関西で盛り上がっています。原発はその次くらい。一方関東では逆というか、水はほとんど問題になっていません。「江戸っ子は、宵越しの銭は持たねえ。」とうそぶくのもどんなものか。確かに水は地味な問題です。


 もうひとつ、原発は「文科的感覚」に訴える部分が大きく、水は「理科的感覚」に―――という傾向があるように思います。その証拠に関西の動きの「指針者」、槌田劭(つちだ・たかし)氏、山田国広氏は、いずれも理科です。もちろん私は、原発の重大性を否定しているのではありません。ひとたび事故が起こったときの衝撃は「水」の比ではないので。しかし「水」は、より日常的です。


「水」をやるには、理科のセンス・技能がないとダメです。しかし、技術の話になれば、私にとってさえも雲の上の存在である原発とは異なり、例えば主婦が、自分の生活の中で取り組むことが可能です。―――現に関西では、本間都さんをはじめとする主婦が、運動の大きな力になっているのです。(センスはいくらでも作れる!)


さて前置きはこれくらいにして、話を続けましょう。私は東京都小金井市貫井南町に住んでいます。ここは昔から、湧水が豊富です。小金井、貫井(ぬくい)、という地名を見てもわかるでしょう。さて私は、近くの「貫井弁天」に出る湧水を、よく汲みに行きます。もちろん飲むためです。この水は―――夏に冷たく、冬にあたたかい―――水温は年中一定、しかも酒を割るとまろやか。(本音)弁天さまは女性ですから―――アハハ、だからやさしい。(何ちゅう論理展開じゃ?)


そして次は、使った水をどうするかですが、最近流しのホースがこわれて下水を流せなくなりました。「こりゃ、いいや。」ということで直さずに、使った水は、窓から外の竹林に放っています。もちろん合成洗剤は使いません。粉石けんにしても、必要最小限しか使いません。出るのは野菜についたドロとか野菜カスだから、窓から放っても別に構わんと思うのです。水は土に返すのがよろしい。


 ですから、私は上・下水道を専攻しているくせに、そんなものは不要だと主張する者です。むしろ宅地造成と称して、「ウサギ小屋」を建てるから(アア、かわいそうなうさぎ!)
せせこましくもなるし、上・下水道も必要になるのでしょう。心理的にはもちろん、物理的にも。―――その点田舎はいい。竹林に包まれ、すぐそばに泉。私は貫井が好きです。私だって・・・・・文科の人として生きたいのです。しかしそうもいかない。理科の目が必要です。最近の地下水は、どうしようもなく汚染されています。ありとあらゆる人工的な化合物が廃棄され、その吹きだまりだと言っても過言ではありません。―――貫井湧水、私は水質分析してみました。その結果たいていの項目では、水道水より良い水でした。しかしただ一つ―――硝酸性窒素は異常に高い。ある程度予想してはいましたが、ショックでした。どうして?と言えば、これほど大変な物質も珍しいからです。


 そりゃあ、生物には窒素が絶対必要です。タンパク質は、これがなければできません。それでは、どうして問題なのか?―――ここには現在の農業のあり方がかかって来ます。あの「硫安」―――化学肥料です。人間が好き勝手に作りだしたものです。―――生物にとって絶対必要な窒素は、苦労しなくては手に入れられなかったのです。「窒素固定菌」が、大豆の根で根りゅうをつくり・・・・という話はご存知のことと思います。しかし不遜な人間は、それを思うまま好きなだけ作れる技術―――「空中窒素固定技術ハーバー・ボッシュ法」を開発してしまったのです。まずはドイツで。硫安はここから始まった。ここでも農業は、工業の勝手な要請に屈してしまったのです。


 さて、硫安中のアンモニアは、全てが全て植物に吸収される訳ではありません。それが自然界では当たり前でしょう。それは微生物が食べる。そこで、アンモニアは硝酸に変えられるのです。そんでこの硝酸ですが、これはマイナスイオンです。しかし土の粒子もマイナス。反発して、決して土は硝酸を受けつけません。流れ去るだけです。―――硝酸は地下水へ。


もう一つ言えば、硝酸は極めて安定した化合物であり、ちょっとやそっとでは変化しません。煮沸も、活性炭も効果なし。飲むしかないのです。何て愚かな人間!窒素を取り入れる技術は作れても、追い出す技術は作れないのです。だから、たまるのみ。―――過剰に。その硝酸ですが、これはもともと植物が、異生物の侵入から自分を守るために使っている、言わば、「毒」です。少量なら必要ですが、多すぎると毒になる典型です。そして化学肥料で作られた野菜には、最近硝酸および亜硝酸が多くなっているという話もご存知でしょう。さらに硝酸過剰の水を飲むと、その害は乳幼児に出てきます。血液が冒される「メトヘモグロビン血症」というのがそれです。大人はかかりにくいそうですが、まあ実に大人とは勝手なものです。
化学肥料だけでなく、都会では家庭排水や大、小便中の窒素によって、地下水は硝酸汚染を受けます。

さあ、貫井にもどって私の分析によれば、硝酸は八十四年一月で11ppm。(ppmとは百万分の一という単位です。)ちなみに、飲料水の基準は10ppmです。―――私はこの情報を、理科の目でとらえました。その後、どうするかは、私の選択です。―――私はそれでも、この水を飲みたい。


知っている方もいると思いますが、現在私たちが水を汚したために、川の水も湖沼の水もひどい状態です。地下水だけではないのです。それを無視して、技術を投入して飲もうとする―――そこであの毒ガス(!)の、塩素を入れて浄水とするわけです。その副産物として発ガン性、催奇形性、変異原性のある「トリハロメタン」が生成するのです。これはあのPCBやDDTの仲間です。(私のテーマは、この「トリハロメタン」。)


 その意味では、どっちにせよ危ないのです。安心して飲める水は、もうどこにもない。―――これが実態です。でも私は、私の近くにいてやさしく流れる湧水を選びたい。水道水はたいがいどこか遠くから、現地の人たちの生活を踏みにじって送られてくるものです。ダム建設予定地の人たちを考えてみてください。それでも無自覚でいて良いのですか?と問いたい。


 今回は自己紹介も兼ね少々まとまらない話になってしまいましたが、これからも書かせて頂きたいので、よろしく。また水に関することで何か聞きたいことがある方は、連絡ください。わかる範囲でお答えしましょう。できなければ、いっしょに考えましょう。
         

           (現住所省略)

参考過去ログ:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110724#1311503102
       フリッツ・ハーバー〜不運な愛国者

地下水と水循環の科学

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