虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

「真珠の耳飾りの少女」の元絵〜ベアトリーチェ・チェンチ

 昨今、日本ではオランダの画家、フェルメールが人気で、今年開かれた展覧会には多くの人びとが訪れたとのこと。なかでももっとも人気だったのは「真珠の耳飾りの少女」(別名:青いターバンの少女。)


真珠の耳飾りの少女



 ところで、フェルメールのこの作品に先立ち、ターバン姿で振り向いている美少女の絵があります。それは、「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」。


ベアトリーチェ・チェンチの肖像(グイド・レーニ作)



 とてもこの2枚は似ていますが、来歴は相当違うので、それを追ってみようと思います。


制作されたのは1665年もしくは 1666年にかけてであろうと推定されている。フェルメールが33歳から34歳の頃で、画家として安定した技量を発揮しつつあった時期である。
 (中略)

フェルメールの作品の多くに言える事であるが、この作品の場合は特に色の数が少ない。背景の黒を除けば、黄色と青色が主要部分を占めている。黄と青は補色の関係にあり、その対比は際立って目立つ。従って少女が頭に巻いているターバンの鮮やかな青が強く印象に残る。この青は西アジア原産のラピスラズリという宝石から作った非常に高価な絵の具を用いたものである。もともとこのターバンが人々の目を引き、『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』と呼ばれて来た。

ターバンは、実際には当時のヨーロッパでは一般的なファッションではなく、特異な衣装である。当時はトルコが強大な帝国を築いており、ヨーロッパをしばしば脅かした。しかし一方でヨーロッパ人にとってトルコやアジアの文化は異国情緒をそそる憧れの対象でもあって、家具調度や服装などにトルコなどの物品や風俗が用いられることも多かった。本作の場合も、異国趣味を意識したものであろうと考えられる。だが、あるいは次の項に示すイタリアの絵の影響という可能性も無視できない。

Wikipedia  以上、「真珠の耳飾りの少女」について。


そのイタリアの絵こそ、ベアトリーチェの絵なのです。

ベアトリーチェ・チェンチ(Beatrice Cenci, 1577年2月6日 - 1599年9月11日)は、イタリアの貴族の女性。ローマで起こった尊属殺人事件(父親殺し)裁判の主役として知られている。その悲劇的な最期から、多くの文学・芸術の題材とされて来た。


ベアトリーチェは貴族のフランチェスコ・チェンチの娘として生まれた。フランチェスコはその暴力的気性と不道徳きわまりない行動から、教皇庁裁判官と一度ならず悶着を起こしていた。一家はローマのレゴラ区にあったチェンチ宮に暮らしていた。チェンチ宮はローマのユダヤ人居住区の端にある、中世の要塞跡に建てられたものだった。家族は他に、兄ジャコモ、父親の2番目の妻ルクレツィア・ペトローニ、そしてその子供でまだ幼かったベルナルドがいた。一家は、ローマの北、リエーティ近郊の小さな村に「ペトレッラ・デル・サルト要塞」という名前の城を所有していた。


伝えられるところによれば、父フランチェスコは妻と息子たちを虐待し、ベアトリーチェとは近親姦の関係にあった。ある時、父フランチェスコが別の罪で投獄された。貴族であったことから、恩赦を受け、すぐに釈放されたが、その時、ベアトリーチェは頻繁に受ける虐待を当局に訴えた。ローマ市民は誰でもフランチェスコがそういう人間だということは知っていたが、何の手も打たなかった。父フランチェスコは娘が自分を告発したことに気付き、ベアトリーチェと妻ルクレツィアをローマから追い出し、田舎の城に住まわせた。ベアトリーチェ、ルクレツィア、そして2人の兄弟は、こうなったらもう父親を亡き者にするしかないと決心し、全員でその計画を練った。1598年、父フランチェスコが城に滞在中、2人の召使い(1人は後にベアトリーチェの秘密の恋人となった)の助けを借り、父親に麻薬を盛ったが、殺すにはいたらなかった。やむなく、家族全員で父親を金槌で殴り殺し、死体はバルコニーから突き落とした。ベアトリーチェは事故だと主張したが、誰も信じる者はなかった。

         Wikipedia(2枚の画像もwikipediaより)


そんなケダモノのような父親、殺されて当然ですが、しかし彼女は尊属殺人斬首刑にて最期を遂げるのです。こんな厳しい刑を受けるようになったのは、ローマ教皇クレメンス8世が、チェンチ家の財産を横取りしようという意図があったからとか・・・頭にターバンを巻いているのは、斬首に際して髪の毛で斧の刃が滑るのを防ぐため。・・・審美的というより実用的な理由でターバンを巻かれたのですね。まさに全人格を賭けた笑顔をほんの22歳のベアトリーチェは投げかけていたのです。そして2つの絵は、65年ほど制作年代の差があります。



今日のひと言:私はフェルメールグイド・レーニパクリをやったのだとは思いません。絵画において、模倣は普遍的な絵画上達法であり、元絵を超えることも多いからです。たとえば、曾我蕭白(そが・しょうはく)の波の絵を集大成したのが葛飾北斎の「神奈川沖波裏」です。もっとも私は「真珠の耳飾りの少女」より「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」のほうが好きですが。




今日の一句


こんなにも
聴けると知らず
アン・ルイス


図書館からアン・ルイスのCD「PIERCER」を借りてきて聴いてみたところ、これまで相当な年代の隔たりがあると思っていたのがウソみたいに、馴染めました。私も歳を取ったのか。発表当時の彼女の年齢も越えたのですね。「KISS」という曲が良かったです。

    (2012.10.20)

謎解き フェルメール (とんぼの本)

謎解き フェルメール (とんぼの本)

フェルメールへの招待

フェルメールへの招待

ベアトリーチェ・チェンチ―16世紀ローマの悲劇

ベアトリーチェ・チェンチ―16世紀ローマの悲劇