虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

大西瀧治郎の切腹・・・特攻の「責任」

全4回に渡る「太平洋戦争」を巡る将官の話。
不規則にエントリーします。その4(完結)。

大西瀧治郎



 戦争用語で、「必死」と「決死」というのがあります。似ている様で結構違います。「決死」とは「死ぬことも覚悟の厳しい任務」であり、作戦終了後は「帰還のすべも考慮したプラン」なのです。一方の「必死」は「必ず死ぬ任務」であり、帰還のことなど頭にないのです。


 その意味で、太平洋戦争末期に、日本海軍が行った「必死の」作戦「神風特別攻撃隊」(特攻)は、戦争においての邪道でした。こんな作戦を立てるくらいなら、さっさと連合国側に白旗を揚げて降伏すべきだったのです。


 この外道の作戦に関わった海軍の将校で、重要なのは黒島亀人(くろしま・かめと:海軍少将)、宇垣纏(うがき・まとめ:海軍中将)、大西瀧治郎(おおにし・たきじろう:海軍中将)の3名かと思います。


 黒島と宇垣は山本五十六連合艦隊司令長官の参謀で、両者とも変人で鳴らしていました。黒島は身の回りのことに無頓着で、マイペースでいたので「ガンジー」とのあだ名を持ち、宇垣は、挨拶されると顔を上に向って逸らすように、挨拶も出来ない人で、「黄金仮面」とあだ名されていました。


 山本五十六について、現在では名将であったとの評価が大きいですが、もと海軍少尉の生出寿(おいで・ひさし)氏が「凡将 山本五十六」(徳間書店)という本を出版していて、山本の言動の精緻な分析をしていますが、山本は、奇想天外な作戦案をだす黒島を高く評価していて、「当たり前ではない作戦を立案するから、自分は黒島を評価する」としていましたが、非常識な作戦は空回りすることが多いのも事実です。実際、黒島が作成したミッドウェイ海戦計画、「目的が不明確な」戦略だったので、大敗を喫します。山本五十六の人を見る目のなさを語る逸話です。


参考過去ログ:http://d.hatena.ne.jp/iirei/20120524

山口多聞〜〜海軍髄一の提督

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110922

 :「永遠の0」(ゼロ)(書評)・・・零戦戦記



黒島は「秋山真之の再来」とも言われていたそうですが、過大評価です。そして、黒島は、戦争末期には航空機による体当たり攻撃や人間が魚雷に入って敵艦を狙う特攻攻撃の立案に熱中します。彼は終戦後、とくに極東軍事裁判に掛けられることもなく、一市民として天寿を全うしたらしいです。


また、宇垣は、図上演習で味方艦が轟沈したとき、沈んだはずの船を「再浮上」させ、演習を続けさせたということであり、これが山本五十六の意を汲んだ措置であったにせよ、ミッドウェイ海戦では、見事に4隻の主力空母を沈められています。山本五十六も、これら能力が劣る参謀たちに囲まれ得々としていたわけですから、「凡将」と呼ばれても仕方ないでしょう。


 特攻を始めた際、兵士から「敵艦に爆弾を命中させたら、帰還していいのか?」と問われ「ならん」と答えたのもこの男・宇垣です。宇垣は、玉音放送が流され、日本の敗戦が決定したあとで、10数人の兵士とともに敵艦隊に特攻出撃して消息不明になりました。「死ぬなら、一人で死ね!」と私は言いたいですね。この男、一種の狂人です。


 最後に取り上げるのは、大西瀧治郎。彼は特攻作戦の頭といった存在で、たくさん特攻兵士を送り出したのですが、「いつかは必ず俺も行くから・・・」と言っていました。そこで、彼の場合、1945年8月16日(敗戦の日の翌日)に切腹します。

大西は8月16日自刃した。「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書を遺して割腹自決。遺書には自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝すとし、また一般壮年に対して軽挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭している。


自決に際してはあえて介錯を付けず、また「生き残るようにしてくれるな」と医者の手当てを受けることすら拒み、特攻隊員にわびるために夜半から未明にかけて半日以上苦しんで死んだという。享年54。


割腹自決時に遺した辞世の句は「これでよし 百万年の 仮寝かな」と「すがすがし 暴風のあと 月清し」である。


終戦時の割腹自決の後、特攻隊員の犠牲者の名簿にも、大西の名が刻まれた。

Wikipedia  より


この両句、なかなか良いと思います。


今日のひと言:切腹というのは武士の名誉ある自決法でしたが、明治以降は武士はいなくなったのだから、もうこの自決法を選ばないものかと思っていましたが、さにあらず、この習慣は、軍隊が官僚化した昭和陸・海軍にも受け継がれていたのが意外です。(陸軍では敗戦の日阿南惟幾(あなみ・これちか)陸軍大臣が自決しています。)まあ、1970年には三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げていますから、「切腹」という作法は綿々と受け継がれているのでしょうね。


 黒島、宇垣、大西のなかで「軍人として」責任をちゃんと取ったのは、大西だったと思います。



今日の一句


蟷螂の
子を孕みつつ
轢死せり


カマキリ(蟷螂)が、車道で無残に車(自転車か自動車かは不詳)に轢かれ、死んでいたのを見て。=轢死(れきし) 気の毒なので写真なしです。

    (2012.10.05)

永遠の0 (講談社文庫)

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特攻の思想―大西瀧治郎伝

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勝つ司令部 負ける司令部 (新人物文庫)

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