虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

辻政信・・・悪魔の参謀


全4回に渡る「太平洋戦争」を巡る将官の話。
不規則にエントリーします。その3。
辻政信wikipedia)→



 表題の「悪魔の参謀」という言葉は、メールマガジン「軍事情報」で使われていましたが、私のミスでその記事を削除してしまいましたので、ここに私なりの辻政信像を提示しようと思います。


 「参謀 上」(児島襄:こじまのぼる:文春文庫)の辻政信に関する書き出しは以下のようになっています。マレーの虎と恐れられた山下奉文(やました・ともゆき)中将の日記に


「・・・辻中佐、第一線より帰り、私見を述べ、色々の言ありしと云う。此男、矢張り我意強く、小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男也」


と記されています。


 辻政信は、お家の事情から軍人の道を選びますが、彼は陸軍幼年学校からはじめ、陸軍士官学校陸軍大学校をそれぞれ優等な成績で卒業し(だいたい1位から3位くらい)、いわゆる「恩賜の時計」・「恩賜の軍刀」をもらって、将来を嘱望されていました。克己心も強く、厳しい基準で自らを律していました。なんの問題もないように見えますが、さにあらず、戦場で見せる彼の姿は「悪魔」そのものだったのです。


1939年日本とソ連の間でかわされた「ノモンハン事件」の黒幕を務めます。

同年5月11日、外蒙古満州国が共に領有を主張していたハルハ河東岸において、外蒙古軍と満州国警備隊との小規模な衝突が発生した。ハイラルに駐屯する第23師団は要綱に従って直ちに部隊を増派し、衝突は拡大した。外蒙古を実質植民地としていたソビエト連邦でもジューコフ中将が第57軍団長に任命され、紛争箇所に派遣された。関東軍司令部では紛争の拡大を決定し、外蒙古のタムスク航空基地の空爆を計画した。


これを察知した東京の参謀本部は電報で中止を指令したが、辻はこの電報を握りつぶし、作戦続行を知らせる返電を行っている。この電報の決裁書では、課長、参謀長および軍司令官の欄に辻の印が押され、代理とサインされていた。参謀長および軍司令官には代理の規定が存在せず、辻の行動は明らかに陸軍刑法第37条の擅権の罪(せんけんのつみ)に該当する重罪であった。

ノモンハン事件、すなわちノモンハン戦争は日本の完敗に終わります。この戦争を「事件」と呼ぶのは、日本帝国陸軍のメンツに関わるから、小さな事象とされたのでしょう。辻政信はこの戦争で敗れた将官自決を強要しています。また、「栄転」したフィリピンで、有名な「バターン死の行進」を画策したのも辻政信です。



フィリピン戦線を担当していた本間雅晴中将率いる第14軍は、マニラ占領後にバターン半島にこもる米軍の追撃をおこなった。しかしジャングルの悪環境や情報不足によって攻撃は一時頓挫し、東京の大本営では一部参謀を左遷し、さらに辻を戦闘指導の名目で派遣した。4月3日に開始された第二次総攻撃によって米軍の陣地は占領され、多くの兵士が投降しコレヒドール島を残すのみとなった。この後、米軍捕虜の移送において発生したバターン死の行進を巡っては、当時の日本軍の兵站事情および米軍兵士の多くがマラリアに感染していたことから恣意的な命令ではないとの意見が存在する。


その一方で多くの連隊には、「米軍投降者を一律に射殺すべしと」の大本営命令が兵団司令部から口頭で伝達されていた。大本営はこのような命令を発出しておらず、本間中将も全く関知していなかった。当時歩兵第141連隊長であった今井武夫は、戦後の手記において、この命令は辻が口頭で伝達して歩いていたと述べている。


バターン西海岸進撃を担当した第十六師団の参謀長渡辺三郎大佐の記憶によると、4月9日、大挙投降した米兵が、道路上に列を作っているのを見て、辻は渡辺に捕虜たちを殺したらどうかと勧告した。渡辺が拒否すると、辻は「参謀長は腰が弱い」と罵った。また、辻は森岡皐師団長に同じことを進言したが「バカ、そんなことができるか」と一喝されて退いた。


どんな失敗をしても許されるのが辻政信みたいで、この「バターン死の行軍」は戦後アメリカから激しく非難されます。そして次に出向いたのがガダルカナル島の攻防戦です。



ガダルカナル島の戦いでも実情を無視した攻撃を強行した。


辻の責任であるとする説によると、ガダルカナル島での作戦の過程では現地指揮官の川口清健少将と対立し、参謀本部作戦参謀の立場を利用して川口少将を罷免させた。辻が攻撃しようとしていた場所は、既に川口が一度総攻撃を行った場所であって、再度の総攻撃でも失敗する確率はきわめて高いと思われた。


 しかも、総攻撃の日時は、海軍の都合と一致させるために、戦闘準備には無理が生じ、ジャングルの中を通る急峻な道路によって大砲などもほとんど輸送できず、結局小銃での攻撃に頼るのみであった。この条件では作戦の失敗も当然であるが、戦後辻はこの作戦の失敗を川口になすりつけ、自著『ガダルカナル』で「K少将」と川口の名を伏せ、専ら自分に都合が良いように描写した。

以上、引用はwikipedia より。


辻はこのガダルカナル攻防戦において、「兵力の逐次投入」という愚策を弄し、イタズラに兵力を消耗し、「飢島:飢え死にの島」という異名まで産み出しました。これで、陸軍の間では「作戦の神様」と呼ばれていたのですから、お笑いです。以後、中国戦線、ビルマ戦線に派遣されますが、参謀本部の意向を傘に着て、やりたい放題やっています。

 
 今日のひと言:辻政信は、正しくも山下奉文中将が評したように、「我意」が強く、とても軍事指導者としては勤まらない人格の人だったようです。


 なお、彼は戦後隠れていて、極東軍事裁判には掛からずに済み、ほとぼりが冷めたところで、「元陸軍参謀という金看板を背負って、国会議員に立候補し、何期か勤めます。そして、1961年、視察のためラオスを訪れますが、ここで行方不明になっています。この失踪には諸説あります。例えばCIAに消されたのだとか。真偽は不明です。


この男には、幼少時から陸軍軍人にのみ、なることを目的になされた教育の、空恐ろしさを感じます。


悪魔的作戦参謀辻政信―稀代の風雲児の罪と罰 (光人社NF文庫)

悪魔的作戦参謀辻政信―稀代の風雲児の罪と罰 (光人社NF文庫)

参謀 (上) (文春文庫)

参謀 (上) (文春文庫)

今日の料理:クワの若芽とミョウガナンプラー炒め


私はその有用性から、クワ(桑)の木が好きです。一例を挙げれば、この植物の葉に含まれるDNJ(デオキシノジリマイシン)は糖尿病に効果があり、若葉のテンプラはなかなかの食感です。


今回はオリーブオイル、ゴマ油を混ぜた植物性油脂を使い、おりから採れたミョウガとクワの若葉を炒め、ナンプラーで味付けしました。ミョウガの比率は少なかったようですが、クワの濃い味を楽しめました。


現在庭に2株のクワの木がありますが、これは、畔道でいじめられていたクワのうち、根っこつきの部分を掘り起し、自宅で養生させたものです。だからこの2本はクローンですね。

   (2012.07.26)




今日の一句


初めには
野草と見えし
イネ科草



 以前のブログで、無意味と見える農薬散布をしている農家を取り上げましたが、どうも同じ植物が群れをなして成長しているのを見、これはキビかアワか、イネ科植物を栽培しているように見えるようになりました。

  (2012.07.24)

( http://d.hatena.ne.jp/iirei/20120708 の末尾の散文詩。)