今様は11世紀中ごろから12世紀にかけて流行した歌です。歌の曲や伴奏とともに、舞い、踊り、パフォーマンスを伴うもので、いわゆる白拍子・遊女・傀儡師(くぐつし)などが担っていたようです。
書物の形でも残され、「梁塵秘抄:りょうじんひしょう」というのがそれで、この本は腹黒い政治家として知られた後白河法皇が編纂しています。彼は権力が貴族の手から武家の手にわたる過渡期に生き、源頼朝からは「日本一の大天狗」と称される悪辣な政治家でしたが、以下に書くような今様を愛し、梁塵秘抄を編纂するほど2面性のある人物だったな、と思います。
ここで挙げるのは「梁塵秘抄」(川村湊・訳:光文社古典新訳文庫)です。図書館で借りたのですが、ヤング・アダルトコーナーにありました。現存している570首余りから100首を撰んだのがこの本です。さらにこの中から、私が数首ピックアップします。
@あなたが帰った 私の部屋に
背広の残り香 残るだけ
ドアの近くの スリッパも
履くひとなしに さびしそう
(原詩)太子の身投げし夕暮れに 衣は掛けてき竹の葉に 王子の宮を
出でしより 沓は有れども主も無し
訳者は、思い切った超訳を心がけているそうです。
@美女を見るたび 一本の 蔓草にでもなりたいな
根元から枝の末までも からみつきたい すがりたい
切られようとも 刻まれようとも
離れはしない わが運命
(原詩)美女打ち見れば 一本葛へも成りばやとぞ思う 本より末まで
縒らればや 切るとも刻むとも 離れ難きはわが宿世
これは、式子内親王に恋した藤原定家が彼女の墓に、蔓草となって巻きついたという伝承によっています。
@清太の作った 草刈る鎌は
何で研いだか 焼きを入れたか
捨ててしまおうと 思うたが
逢坂 奈良坂 不破の関
栗駒山でも 草も刈れない鎌なんて
(原詩)清太が造りし刈鎌は 何しに研ぎけん焼きけん造りけん 捨てたうなんなるに 逢坂奈良坂不破の関 栗駒山にて草もえ刈らぬに
清太とは「平清盛」を意味するらしく、彼を揶揄する一首である、との説があるようです。
@エビ取りおじさん どこ行くの?
ザコとりおじさんとこに 行くとこさ
この江にゃ エビはいないよ やめときな
あの江の ザコが散らぬ間に
(原詩)海老漉舎人はいずくへぞ 小魚漉舎人がり行くぞかし この江に海老なし下りたれ あの江に雑魚の散らぬ間に
この一首は、童謡的です。歌って踊るにはもってこいだったでしょう。私は「マザー・グース」を連想します。
@神さまだって あたしの魅力にゃ かなわない
ゆらゆらと さらさらと 降りてらっしゃい
あたしの 体に
恥ずかしがってちゃ 抱けないわ
(原詩)神ならばゆららさららと降り給え 如何なる神か物恥はする
巫女のお言葉?色っぽいですね。
@遊びをせんとや 生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さへこそ 動かるれ
今日のひと言:川村さんの解説によれば、今様を歌って踊ったのは白拍子たちであるにせよ、梁塵秘抄に収められた歌の作者は、案外知的エリート・・・知識人、歌人、学者、高僧、神官であったのではないかとしていますが、案外そうなのかも知れないですね。
なお、私が梁塵秘抄を知ったのは、大学教養課程の授業ででした。ゼミのように比較的少人数の授業で、とても参考になりました。ほかにも司馬遷の史記、落語家・三遊亭円朝なども学びました。落語の場合は、男性2名、女性2名の計4名のまさしくゼミで学びました。面白かったですよ。
今日の詩
鏡
私は昔、
鏡であった。
人の姿を
正確に
映し出す
鏡であった。
でも
ある事件がもとで
鏡は割れた。
今は
人の姿を
歪んで映す。
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今日の料理
私は庭にいろいろな植物を植えていますが、その中の一つ「ギボウシ」ないし「ウルイ」3株が収穫適期になったので、若葉を柄から切り取り、茹でてシーザーサラダ・ドレッシングで和えてみました。この植物はユリ科の山菜として有名です。柄の部分は苦味があるので、葉と柄を分けて調理すると良いとのことですが、私は苦いのは大好きなので、分けずに調理しました。・・・なかなかの一品です。 (2012.05.25)