雨月物語:上田秋成は江戸期の「水木しげる」だ。
上田秋成(1734−1809)は、江戸中・後期の医師、国学者、戯作者です。国学者として、本居宣長に論争を挑んだことがありますが、その本領は戯作者にあると思われます。雨月物語、春雨物語などが特に有名です。
彼の場合、5歳で天然痘にかかり、生死の境を漂い、また、肉親がはやくに亡くなり、妖怪怪異を身近に感じていたのでしょう。雅号も剪枝畸人というようになんだか奇異なペンネームを使っています。(他にも「無腸:節操のない人ないし蟹のこと」というのもあります。)この辺が現代の日本文化に少なからぬ影響を与えた「水木しげる」さんに似ているのです。そう、江戸時代の水木しげるが上田秋成なのです。
雨月物語は9篇の短編小説からなりますが、今日は特に「浅茅が宿」と「吉備津の釜」を取り上げます。登場する女性の振る舞いが両極端に違うのです。
「浅茅が宿」(あさぢがやど)は、今の千葉県松戸あたりが舞台で、京にのぼり一儲けをたくらむ勝四郎という男が、妻・宮木をひとり残し、出立してしまうのですが、妻は一途に待ち続けます。戦乱のため戻れず7年が過ぎ、勝四郎が再び戻ってきたとき、7年前と変わらず、妻は彼を歓待します。そして両者は同衾しますが、朝起きてみると妻の姿はなく、家も荒れ放題でした。家の奥には塚・・・勝四郎は、妻・宮木がすでに死亡していて、ただただ夫に会いたいがため、一夜を設定したことを知ります。この小説は「いじらしい、いじらしすぎる」妻を描いてあまりあります。夫をひたすら待つ妻。
「吉備津の釜」(きびつのかま)は、備前の国、吉備津神社の神事・鳴る釜の儀式をモチーフにした話。井沢正太郎は、生来の遊び好き、身もさだまらぬ風に懸念した親は、身を固めさせれば心がけもかわるだろうと、神主の娘・磯良(いそら)との縁談を進めます。その際、この結婚の行く末はどうなるか、釜鳴神事を行います。水を張った釜を火にかけ、ウシが鳴くような音がすれば吉兆、音がしなければ凶兆。・・・釜は鳴りませんでした。悪い予兆・・・でも当事者の親は神事をやった巫女たちが穢れていたのだろうと、結婚させます。
当初は磯良のかいがいしさでおとなしくしていたものの、正太郎はまたぞろ遊び心がわいてきて、袖という遊女を身請けして別荘に囲います。そして磯良にいうには、「袖は身寄りがない身、京にのぼればなんとか生活できるであろう、路銀を貸して欲しい」と頼みます。磯良はなんとか工面して(親をだますなどして)お金を用意しますが、これは正太郎のオオウソで、彼は袖と二人で逐電してしまいます。真相を知った磯良は、恨みを発して死んでしまいます。
さて、これからは磯良の怨霊が主役になります。まず袖を取り殺し、袖を葬った墓のそばで供養をあげている正太郎と、同じく供養をあげているある娘が意気投合し、娘の主人のところにお邪魔するのですが、そこで待っていたのは、磯良の怨霊。正太郎はあまりの恐ろしさに気絶します。
絶望の淵、でもここで正太郎に光が見えてきます。陰陽師(おんみょうじ)の見立てと処置を受け、呪符を書いてもらい、42日間の夜、物忌みし、お堂からでるな、という仕儀です。毎晩磯良の怨霊はやってきて、「この符があっては入れない、ああ、くやしや」と叫び、生きた心地もしません。そして、42夜が明ける際、誤って夜の時間にお堂を出てしまったので、あはれ、見事に磯良に取り殺され、血痕のほかはなにも見えなかったとのこと。あるいは、家の軒先に男の髻(もとどり:マゲの一部)が引っかかっていたぐらいで、正太郎の死体はどこにも見えませんでした。すぐに取り殺せなかったとは言え、磯良の怨霊が、42夜も正太郎をおびえさせたこと、磯良にとっては本望だったでしょう。
この小説は、妬婦(とふ:ねたむおんな)になった女性の恐ろしさを語っています。上田秋成がそのように書いていますが、あれほどの酷い仕打ちにあえば、男だって化けて出ると思われます。そして、妻である怨霊は、自分からやってきて夫を取り殺すのです。この点、「浅茅が宿」と「吉備津の釜」は好対照です。
「吉備津の釜」はその恐ろしさにおいて世界の文学と比較しても「白眉」であろうと思います。ただ、10年くらい前にフジテレビでこの話が取り上げられましたが、脚本が最後の部分で異なり、「磯良が袖の姿になり、お堂を開けて欲しい」としたので、ホイホイ外へ出てしまう正太郎の愚かさ・磯良の底意地の悪さがくっきりしていて、原作を超えているような気もします。磯良という名は、古事記などにも登場する吉備津彦命(きびつひこのみこと)が備前の国で退治した温羅(うら)という者の名をイメージしたものであると言われます。この神(吉備津彦命)は「桃太郎」のモデルであったとも考えられています。
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今日のひと言:上田秋成は、和漢の諸文献をさらっと取り込むのが上手いですね。「浅茅が宿」は剪燈新話の愛卿伝、「吉備津の釜」は剪燈新話の「牡丹燈記」・本朝神社考・今昔物語などを使っています。まあ、牡丹燈篭なら、夜な夜な通ってくる美人を待っているお話ですが、「吉備津の釜」はオソロしい怨霊がやってくるという点が相違点であると同時に、同系のお話だとも言えるでしょう。なお、現代の水木しげる氏に、そのものずばり「水木しげるの「雨月物語」」(河出文庫:480円)という挿絵入りの文庫があり(上掲)、3篇収められています。「吉備津の釜」も収録されています。水木しげるさんも、いつかは雨月物語をマンガ化したかったとのことです。今回のブログは「新潮日本古典集成第22回「雨月物語・癇癖談(くせものがたり)」」を参考にしました。昭和54年初版です。
それにしても、江戸期の文学は読みやすいです。私は平安期のやたら読解が難しい女性の手になる日記は敬遠しますが、雨月物語は読みやすいので、かつて高校生の家庭教師をしていた際、「吉備津の釜」を授業で取り上げたことがあります。もっとも、点差をつける大学入試では、難解な女流日記が主流ではあるのですが。
今日の詩
武尊山(ほたかさん)
群馬県北方。
県境でなく県内に聳える独立峰。
2158m。
この屏風のような山で。
ツアーの最中に。
私は素敵な女性と知り合い。
恋仲となった。
だが彼女を中心にして。
三角関係に私は悩む。
心のバランスを崩す。
苦い思い出である。
(写真、手前左の青い山は赤城山(1828m)、右が皇海山(すかいざん:2144m)、後ろの白い山が武尊山。)この3峰はいずれも深田久弥の「日本百名山」に取り上げられています。
(2012.01.03)
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