「ばるぼら」(手塚治虫)・・・狂気としての芸術
手塚治虫特集 その1(全2回)
私の名は美倉洋介・・・超売れっ子の流行作家で、社会的にも尊敬される地位を持つ。ただ私にはおかしな性癖が多々あり、それは主として異常性欲なのだが・・・その私は新宿で「バルボラ」に出会う。それは「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女―それが「バルボラ」」。まるで動物を拾ってくるかのように私はバルボラを自宅に連れてくるのだが。(二人の出会いは、「バルボラ」がヴェルレーヌの詩の一節「ヴィオロンのためいきの身にしみてひたぶるにうら悲し・・・」と口ずさんでいたことから。)
手塚治虫の伝奇マンガ「ばるぼら」は、以上のように始まります。大体美倉本人のモノローグが多くて、一種の「私小説(Ich Roman:イッヒ・ロマン:一人称小説)」風の変わったマンガです。
美倉の「異常性欲」はきわめて強く、それを克服するためにボクシング、俳優稼業、謡曲、ボート、馬、剣道などにのめり込み、それがまた、ファンを増やすように機能していましたが、「バルボラ(作中ではカタカナ表記)」には、彼の行動が客観的に見ることが出来、たとえば美倉が「マネキン人形」に恋したり、「美しいメスイヌ」に恋したりしたとして、美倉を現実に引き戻すなどの役を果たしたりしました。
この2人の関係に、転換期が訪れます。ルッサルカというアフリカの作家が政治活動で敗れ日本に亡命してきます。彼は「バルボラ」を見るなり、正確にその名を言い当て、「また私の傍に帰ってきて欲しい」と懇願します。でも「バルボラ」は「あんた、嫌い」とすげありません。ルッサルカが言うには、「「バルボラ」はミューズ(芸術の女神)だ」。
さすがに美倉は最初、酒の上での寝言か、と相手にしませんが、ルッサルカ自身が「ブードゥー」の呪いのため、政敵に暗殺されることもあり、「バルボラ」がミューズであり、しかも魔女であることを徐徐に納得していきます。
その「バルボラ」、それまで美倉に見せていなかった極めてセクシーな姿を見せ、「先生の奥さんになろうかと急に思ったんだ。フフフ。」と囁くと、美倉はその魅力に対抗できずに、体を合わせます。(それまで一度も「バルボラ」を抱く気にはならなかった美倉ですが。)
そして「結婚式」・・・極内密で行われる「黒ミサ」ですが、この式が無事に完了すれば「バルボラ」は永遠に美倉に芸術上のインスピレーションを与えつづけることになるところでした。
ところが、この式のことを美倉からほの聞いていた出版社の社長・・・この男は娘を美倉の嫁にと考えていた・・・がマスコミに通報していて、踏み込まれ、「バルボラ」は嘆き悲しみ、号泣します。「淫らなヌーディスト・パーティー」の話題がマスコミの紙面を飾ります。
この一件での「バルボラ」の落胆は大きく、美倉を憎み、以後美倉の記憶は母のムネーモシュネー(記憶を司る女神)によって消去され、以後美倉はその意味でまるで「逃げ水:蜃気楼の一種」を追いかけるように「バルボラ」を追いますが・・・(この本が入手可能な人は、ぜひ続きを読んでください。)
美倉は、実際、狂気に満ちた男でした。また、その妻になる予定だった「バルボラ」も、芸術の守り神であると同時に狂った「魔女」でした。狂気が芸術を産む・・・この辺の消息についてもよく考えさせてくれる作品です。
なお、手塚氏はオッフェンバックのオペラ「ホフマン物語」をよくBGMにしたそうですが、E.T.A.ホフマンという小説家は、「砂男」など、幻想的、怪奇的、猟奇的な作品を残していて、それをモデルにしたかったらしいですが、本人が言うにアクが強すぎ、オカルト・テーマに傾斜したそうです。この「ばるぼら」を執筆したのが、ちょうどオカルトブームの前夜だったそうです。(著者本人によるこの作品の解説文より。)
なお、芸術論で有名なものとして、ニーチェの言う「アポロン的なもの、ディオニュソス的なもの」というのがありますが、前者は「理性的、清潔、明、陽」をイメージしますが、後者は「本能的、淫猥、暗、陰」をイメージします。本作「ばるぼら」は、ディオニュソス的なものをモチーフにしていると考えて間違いないでしょうね。
「ばるぼら」、昭和49年(1974年)7月30日初版、大都社刊

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文献として挙げたのは大都社版より新しい出版物です。
今日のひと言:よくNHKは、「平和の使い」としての「鉄腕アトム」についてばかり報道して、手塚治虫の全貌を隠蔽しています。これは、公平な態度ではありません。「ばるぼら」のように非道徳的な作品も相当数描いているのですから。
参考過去ログ:NHKは、手塚治虫を何だと思っているのか?
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070323
今日の一句
蜥蜴(とかげ)くん
尻尾切っても
元気なり
いわゆる蜥蜴の尻尾切り、当人にとっては一大事ですね。普通、悪党が子分を切り捨てるときに使う言葉ですが、それでは蜥蜴が可哀そうですね。
(2011.07.08)