虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

シューベルトの歌曲「ドッペルゲンゲル」

 フランツ・ペーター・シューベルト(1797−1828)は、そのシューベルトという姓が「靴屋」を意味するそうですが、31歳という短い人生で靴をすり減らす旅に明け暮れ、600あまりにも及ぶ曲を作り、特に「歌曲:リートDas Lied:ドイツ芸術歌曲)」においては、及ぶ者がいないことから、「歌曲の王」と呼ばれます。モーツァルトとかベートーベンとかの先輩とか、シューマンブラームスなどの後輩、誰を取ってもシューベルトには及びません。彼がリートの開発者および完成者だからです。なかでも、彼は特異な歌曲を2つ残していますので、これら極北の歌曲を紹介しようと思います。なお、シューベルトの曲には、D***という具合に番号が打たれますが、これは通し番号をつけた人物 Otto Erich Deutsch のDから取られています。(厳密に言うと、モーツァルトシューベルトオーストリア人ですが、ドイツ語文化圏ということで他のドイツ人作曲家とまとめることが多いですね。)


 まず、一曲目は、ゲーテ(1749−1832)の詩に付けた曲(D216)で


 Meeres stille


Tiefe Stille herrscht im Wasser,
Ohne Regung ruht das Meer,
Unt bekuummert sieht der Schiffer
Glatte Flaeche rings umher.


Keine Luft von keiner Seite!
Todesstille fuurchterlich!
In der ungeheuern Weite
Reget keine Welle sich.


「海の静けさ」


 水を深い静寂が支配する。
 海は動かず やすらぐ。
 船頭は気付かわしげに辺りを見る
 まわりはぐるりと平らな面。


 どこからも風ひとつ吹いてこない!
 おそるべき 死の静寂さ!
 この安定して広い場所において
 波ひとつ動かない。




この曲は、語るように歌うボーカルに、従うのはハープの伴奏のみ。それも、ぽつんぽつんと音がおかれるだけで、奇異な感じを受けます。詩人のゲーテが感じた「あまりに恐ろしい海の静寂さ」を表現するため、このようなミニマムな曲を付けたのでしょう。この歌曲はD216で、まだシューベルトが若いころ作られた曲なのでしょう。てか、31歳で死ぬから、若いもなにもないでしょうが。


 次はシューベルトの死後編集された「白鳥の歌」:(D957)から、第13曲目の(最後の曲の一つ前の)「ドッペルゲンゲル」。これは一般に「影法師」と訳されますが、「人格分裂」「二重人格」の例として、文学上のテーマにしばしばなります。そして「ドッペルゲンゲルを見た者は遠からず死ぬ」とも言われるのです。この曲の原詩を書いたのは、ハイネ(1797−1856)です。(なお、白鳥の歌は、3人の詩人の詩にメロディをつけたもので、編集は、シューベルトの死後、関係者によりなされました。最初の7曲はレルシュタープ、次の6曲はハイネ、最後の1曲はザイドルの詩によるものです。第13曲の「ドッペルゲンゲル」は、そんなわけで、ハイネの詩による最高峰の歌曲になっています。)



 Der Doppelgaenger


Still die Nacht,es ruhen die Gassen,
In diesem Hause wohnte mein Schatz;
Sie hat schon laengst die Stadt verlassen,
Doch steht noch das Haus auf demselben Platz.


Da steht auch ein Mensch und starrt in die Hoehe,
Und ringt die Haende vor Schmerzensgewalt;
Mir graust es,wenn ich sein Antlitz sehe,‐
Der Mond zeigt mir meine eigne Gestalt.


Du Doppelgaenger! du bleicher Gezelle!
Was aeffst du nach mein Liebesleid,
das mich gequaelt auf dieser Stelle,
So manche Nacht ,in alter Zeit?



ドッペルゲンゲル:影法師」


 静寂な夜 街も眠るころ
 あの家に私の「恋人」が住んでいた
 彼女が街を捨てて久しいが
 あの場所で家はそこにそのまま立っている


 そこに一人の男が佇み、高みを見上げている
 そしてあまりの激痛に手を捩じらせている
 私はぞっとした・・・月の光で見たその男
 その男の顔は私自身の顔だったのだ

 
 お前、ドッペルゲンゲルよ、青白い仲間よ
 お前は私の愛の苦しみを真似していたのか
 ここで私を苦しめぬいた痛みを
 幾晩も、幾晩も、このゆかりの場所で?




この曲は、「海の静けさ」よりまた一歩ミニマム化が進み、語るような旋律を歌う歌手に対して、伴奏のピアノは点々と弾かれ、また、主人公の感情の高まりを暗示するかのように音が付けられ、ここでは現代音楽においてさえ、あまり見られない巧みな心理描写が見られます。ピアノのたった一音のイメージ喚起力が非常に強く、類まれな歌曲になっているのです。ここまで、一音一音計算された歌曲は、他に知りません。このような作曲法はパッサカリア風と言うようです。和音は低音で、この曲に関しては男性ソリストが似合うでしょうね。ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウが歌い、ジェラルド・ムーアが伴奏する組み合わせのように。


(なお、原文の掲示と訳は私がやりましたが、ドイツ語から離れて久しく、お恥ずかしい限りの訳です。なお、ドイツ語独特の「ウムラウト」は変換できませんでしたので、たとえば「aウムラウトはaeと」表記しました。また、どちらの詩も、4行に分ければ、奇数行、偶数行どうし、韻を踏んでいます。)



 今日のひと言:ゲーテが、シューベルトの作曲した「魔王」(もちろんゲーテの詩)を聴いて、機嫌を悪くした、という話があります。彼が言うには「曲は、原詩を超えてはならない」ということだったとか。シューベルトの実力がわかると同時に、ゲーテの「正直さ」を示す話として面白いと思います。


 なお、日本の梶井基次郎(小説家。・・・というより詩人と呼ぶのが相応しい人)が、その作品「Kの昇天」のなかで、今回のドッペルゲンゲルの逸話を取上げています。この作品の中で、「月」「影」というキーワードを挙げ、おそらくは「K−ajii」のK=梶井基次郎
自身だと思うのですが、満月の中、半ば自殺のような感じで死ぬというお話です。この作品は、「ドッペルゲンゲル」の影を宿しているのだと思います。


 また、芥川龍之介は、生前自分のドッペルゲンゲルを見たことがあるそうです。その幻視体験から、どのくらい経って自殺したかは解りませんが。


参考過去ログ  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20100511
      ウィリアム・ウィルソン・・・ポーの恐怖小説(ドッペルゲンゲル



今日の料理

 本日、家人が珍しい貝を買ってきました。静岡産の「ナガラミダンベイキサゴ)」。巻貝の一種で、塩をたっぷりいれた熱湯で4分ほど茹でたあと、冷やして身を爪楊枝で掻き出しながら引っ張り出し、少々砂が混ざっているようなので、塩水で洗って食べました。(調理2日目には砂の感触を感じなくなりましたが。)ミニ・サザエという感じですね。写真は、茹でて食べたあとの貝殻。生のときより白くなっていました。 (2011.05.22)



今日の詩

ベンジー≒パンジー

私は、
パンジー
嫌いだ!


何かにつけ
キャンキャン無駄吠えする
ポメラニアンの顔に
見えるから!!


そう言えば、
ベンジーという名の犬が
主役の映画があったっけ。
ベンジー≒パンジー


人は言うだろう・・・
そういった犬種
作出した人間が悪いのだと。


それはその通りだけど
私はやっぱりポメラニアンが嫌いだ!!


無駄吠えする小型犬は
おそらく「怖い」から吠えるのだろう。
うちの中型犬・タエコは
「怪しい」から吠えるようである。


まあ、肝っ玉の小さい哀れな犬と思っておいてやろうか。



(2011.05.24)

短歌にも俳句にもできませんでした・・・



前年同時期に詠んだ句(2010.05.31)の再録


 昨日まで
 青しと見えし
 麦秋


麦秋・・・麦の稔るころ。この時期をいうのであって、紅葉の秋とは違います。

   


作曲家 人と作品 シューベルト (作曲家・人と作品)

作曲家 人と作品 シューベルト (作曲家・人と作品)

血統(ペディグリー)

血統(ペディグリー)