虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

かわいらしい・ちり紙交換のおじさん

 土、日曜になると、「まいどお馴染み・・・**のちり紙交換でございます・・・」とのナレーションとともに現れるちり紙交換のおじさんたち。おばさんが来たことはありませんね。男性向きの仕事なのでしょうか?

 わたしの地域には4社ほど出没しますが、そのうちの一社をひいきにしています。その会社のおじさんといったら、すごく愛嬌(あいきょう)があるのです。=かわいらしい!!

 時と場合によったら、「ムシャクシャして」・放火をするような、どこか危うい・かつ・憎めない風貌をしているのです。←これは褒め言葉です。トイレット・ペーパーも、他社より1巻余分にくれますし。この血のでるようなサービスには頭がさがります。トイレット・ペーパーが無くなると、最寄のホームセンターに補充しにいくようです。一方、もう1社は、自前のブランドトイレット・ペーパーを持ってきています。


 このおじさん、前半生はどんなだったか、酒でも飲みながら、聞いて見たい気もしますね。おそらく、ユニークな話が聞けるでしょうね。昔の武勇伝が聞きたいです。仕事、遊び、女、その他あれこれ。吉田拓郎の「落陽」のような話。「人に歴史あり。」

そのような空想をめぐらせてくれるほど、このおじさんは愛嬌があるのですね、人徳です。

 それにしても、最近「ちり紙交換」といいつつ、実際には「トイレットペーパー」であるのだから、「トレペ交換」とでも言ったらいいのに、とも思います。まあ、老年層の人には懐かしい言葉なので、受け入れやすいでしょうが。


その古紙業界ですが、現在はここ数年続いた好景気ではなく、不景気だと彼・おじさんは言っていました。一時期盛んだった中国への輸出額が減ったのでしょうか。


 雨の日にも交換に来ますので、雨で濡れたら紙の質が劣化するのでは?・・・と聞いたら、紙の質より乾燥時の重さによって価格が変わるとのことでした。別に濡れてもかまわないそうです。


 それはそうと、ここ数年問題になっているのは、役所が音頭をとり、古紙や空き缶などの回収に血道をあげている現象があります。民にもできて、それで食っていけるほどの資源があるのに、官が独り占めにする・・・この風潮はどうにかなりませんかね。民間人の食い扶持(くいぶち:収入源)を奪うのもどんなものか、と。


今日のひと言:私が専攻したのが水問題、わけても屎尿(「うんこ」と「おしっこ」)、皆が敬遠する問題でした。これとちり紙交換はその隠微(いんび:なんとなく隠したくなるような)なところが似ています。「うんこ」がらみの話ですから。でも、こんな「汚い」仕事のなかに、世界の真理が埋もれているのだと思います。世の中の人は、往々にして、物事の明るい面ばかり見ようとします。でもその世界が維持されるためには、暗い面が必要なのです。そして、その暗い面を見ようとしない人ばかりになったら、その世界は崩壊すると思うのです。

たとえばダイオキシン。この猛毒の有機塩素化合物は、世に知られる前は暗い面を代表するものでしたが、今となっては、焼却炉の性能改善で排出量は減ったけれども、ダイオキシンに替わる毒物がいまだ暗い面でうごめいているかもしれないですね。それは、一つの市町村に一基ごと、大型焼却炉ができれば、空中、そして土壌へと、重金属汚染につながる可能性もあるのです。これがダイオキシン放逐後の課題になるのでしょうね。私の師の中西準子さんが下水道においては「スケール・メリット:施設の規模が大きいほど、金銭的にも、排出される物質の質からも、メリットがあるという主張」は無い、としていたのと対照的に、ゴミ焼却場は、小規模ではダイオキシンの発生が防げないという事実があり、大規模ゴミ焼却場がもてはやされていました。


 ***明と暗、あるいは陽と陰は、かならず背中合わせにあると、「老子」はおしえます。第42章に「万物は陰を負うて而して陽を抱く。」とあります。

ゴミ分別の異常な世界―リサイクル社会の幻想 (幻冬舎新書)

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リサイクルは資源のムダ使い--地球に正しい生活マニュアル

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今日の一句


ダックスフント
足が
六本に見える

  (2010.12.10)

季語なし、破調自由律俳句です。短足のこの犬種、人に合わせて歩くには、せわしなく足を動かす必要があります。