私がこの世で出合ったサイテーの男(散文詩)
かれこれ20数年前、私はH県西部の山間地で山暮らしをしていました。そこは山深く、林業が主要産業でした。当時30軒くらいの小さな集落でした。(今は「限界集落」で、住んでいるひとはいないでしょう。)私は、「都市と地方の諸問題」を考える会・・・グループJ(仮称)の現地駐在員でしたが、グループからは米代、光熱費については便宜を図ってもらっていましたが、当初用意した10万円がなくなってきて、「なにか働かなくてはなあ・・・」と思っていたさい、地元の人の家の裏の「堰堤(えんてい):がけ崩れを防ぐ一種のダム」を工事していたG村のL土建屋に声を掛けられました。
この土建屋の主は、私が住んでいた民家の持ち主T氏と同じ土建屋の経営者で、両者、仲が良かったそうです。私は、当時、環境問題の専門家でしたので、山林と人の生活の破壊に繋がる「ダム」を作ることなどを以って、土建屋には批判的でした。
彼ら土建屋は、工賃として入ってくるお金を以って、地元を潤すヒーローであるという自意識を過剰にもっていました。私は彼らには、共感できませんでした。
土建屋の仕事自体、結構キツイもので、10mはあるかと思うほどの太い丸太を担がされたりしました。これには参りました。
堰堤工事が無事終わり、こんどは橋梁の建設工事になったとき、「事故」が起こりました。
親方が、筒状で、シリンダーが自在に動く道具を扱っていた際、指をそのすき間に挟み、
指の骨まで見えるような大怪我をしました。親方が救急搬送されたのは、言うまでもありません。
それから数日後、親方は、私にある作業を命じました。それは、ゴム手袋をしている状態で、ロータリーのような回転するような道具を扱うことでした。
私:危険です
親方:いいから、やれ
そして実際にやってみたら、手袋がどんどんロータリーに巻き込まれる「指がちぎれる!」・・・近くにいた作業員が機械を止めてくれたおかげで、私は窮地を脱しました。
そして、私は親方を睨みつけました。
その翌日から、私は土建屋を首になりました。(夏から秋のころの土建屋は、農家が農繁期のため、一般人にも参加の声を掛けるのですね。その人員が足りる、といったことだったかと思います。)
に、しても、L親方は、自分の不始末でした怪我を、拡大して私にも痛みを与えようとしたとしか思えません。たしかに、ロータリーで10本の指を全て失うという未来もあったのですから。このような隠微な情念をもつL親方を、私は「サイテーの男」と呼びたいと思います。
- 作者: ニコラス・G・カー,篠儀直子
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