虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

土を喰う日々(書評)・・・水上勉の「食」エッセイ

 *土を喰う日々(書評)・・・水上勉の「食」エッセイ


 水上勉(みずかみ・つとむ:1919−2004)氏は、先般亡くなられましたが、彼は「食に関する」優れた著作を物しています。それが「土を喰う日々   わが精進十二ヶ月」です。(「みなかみ・つとむ」と読みそうだけど、本人は「みずかみ」と称していました。)


 かつてマンガ「美味しんぼ」を読んでいたら主人公の山岡士郎が「現在チマタにあふれている料理関係の本で、読む価値があるのは・・・」といった時点で、それは本書「土を喰う日々」のことか、と直感されましたが、その通り、士郎が挙げたのがこの本でした。そのような(=読む価値のある)本は「土を喰う日々」だけだと。私自身はかれこれ25年前くらいにはこの本を知っていましたが。

土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)

土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)

もっとも、ちょっとイタズラ心を起すと、「読む価値があるのは「土を喰う日々」だけだとすると、「美味しんぼ」も「読む価値のない本である」ことになり、その無価値の本で賞賛される「土を喰う日々」も「読む価値がない」というパラドクスを招きます。まあ、美味しんぼ」の作者・雁屋哲さんの勇み足ですね。「美味しんぼ」は除外すべきでしたね。



 この「美味しんぼ」、「食材にやたらうるさくて、目の前の料理を食べるのを拒否する児童」が現れる世相と相まって、功罪、やや罪のほうが大きい作品でしたね。


 さて、水上勉さんは、福井県若狭地方の貧しい樵(きこり)の家に生まれ、口減らしのため、京都の禅寺・・・等持院(当時、逆賊足利尊氏菩提寺であるとして、一般には蔑まれていた)に送られます。そこで精進料理の基礎を学びますが、最後は寺を出奔、いろいろな仕事を体験し、「フライパンの唄」という作品で、作家と認められた人です。直木賞作家でもあります。


 この本では、「料理のレシピ」を期待して読んだら、当てが外れます。まあ、水上流梅干の漬け方などがありといえばありですが、この本は「料理の心」を書いた本なのです。もちろん、水上さんの料理の心は、いろいろな素材と出合って輝きます。


 この本を書いた頃、水上氏は、長野県・軽井沢町に住んでいました。そこで自ら作ったり、もらったり、買ったりして手に入る野菜・果物の話題をしみじみ展開するのです。その内の一つ、道元禅師の言葉を水上流に噛み砕いた部分:


 すべて品物を調理し支度するにあたって、凡庸人の眼で眺めていてはならない。凡庸人の心で考えてはならない。一本の草をとりあげて一大寺院を建立し、一微塵のようなものの中にも立ち入って仏の大説法をせにゃならぬ。たとえ、粗末な菜っぱ汁を作るときだって、いやがったり、粗末にしたりしちゃならぬ。たとえ、牛乳入りの上等な料理をつくる時に大喜びなどしてはならない。そんなことではずんだりする心を押さえるべきである。何ものにも、執着していてはならぬ。どうして、一体粗末なものをいやがる法があるのか。粗末なものでもなまけることなく、上等になるように努力すればいいではないか。ゆめゆめ品物のよしわるしにとらわれて心をうごかしてはならぬ。物によって心をかえ、人によってことばを改めるのは、道心あるもののすることではない。
    33P−34P

この言葉が、「土を喰う日々」の根本的なテーゼです。例えば、ダイコンについても、売れない役者を「大根役者」と蔑むのに対し、「いつでもどこでも手に入るダイコンほどあり難い食材もない」と言ったり、菜園でとれた貧相なダイコンを食べてみたら、「辛さ」を十分に秘めた良いダイコンである、と思ったりしたりしています。



また、7月の章の記述からですが、ミョウガ(茗荷)は八百屋仲間では「バカ」という呼称で呼ばれる・・・植物本体から離れたところにひょっこり顔を出すからだとも、釈迦の弟子・周梨槃特(しゅりはんどく)は生まれつき記憶力が弱く、自分の名前さえよく忘れ、名札を下げて歩き、彼の死んだ墓からミョウガが生えてきた・・・という昔話からも、ミョウガは「バカ」という符牒がついてまわったのです。ここで水上さんのひと言:「みょうがは、私にとって、夏の野菜としては、勲章をやりたいような存在だが読者はどう思うか。こんなに、自己を頑固に守りとおして、黙って、滋味(にがみ、香味)を一身にひきうけている野菜をしらない。」
122P−126P


今日のひと言:青い野菜のない乾物ばかり食べる冬1月から始まって、いきものが闊歩する春4月と山菜、5月のタケノコ、6月の梅干作り、7月のミョウガ・・・というように、旬の素材が自然に登場し、一つ一つの素材、およびそれを使った料理があざやかに目に浮かぶことでしょう。それらの食材を分け隔てなく慈しむ珠玉のようなこの作品、是非、一読ください。




参考過去ログ
 タケノコ2題(水上勉玄侑宗久
    http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070405
ミョウガの佃煮
    http://d.hatena.ne.jp/iirei/20090918

土を喰う日々」:新潮文庫で400円

精進百撰 (岩波現代文庫)

精進百撰 (岩波現代文庫)