虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

虫明亜呂無と身体性・・・現代における身体


クラナッハの絵」の表紙→



 私の大学時代初期は、数学科をめざしていたのが挫折し、理学部数学科と比肩できうるジャンルはなにか、を模索していました。


 その際、とても印象に残った本が2つあり、一つは栗田勇氏の芸術論集(印象に残ったといいながら、書名は失念、アントニオ・ガウディアナトール・フランスなどに触れた本でした。)。

 もう一つが虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)氏の「クラナッハの絵」でした。クラナッハ(クラーナハ)は、中世ドイツの画家でしたが、虫明亜呂無氏は、「女性の持つ、業と言っても良いような身体性」を追及していました。クラナッハの絵をなんの喩えで出してきたのか、はもう記憶のかなたです。なにぶん30年も前の読書ですからねえ。


 「クラナッハの絵」は現在(当然というか)絶版で、古本屋では1冊15000円もするそうなので、再読は不可能でしょう。(出版社は北洋社)


 たとえば、レストランにおけるカップル(ツーショット)のうちの女性を見れば、この二人が出来ているかどうか見抜けたり、それは女性が「気を許す=体を許す」ことにつながっているとか、観察できるそうです。ふーん、そうなのかな?(ここの表現、どこかのスケベおやじがねちねち観察しているような不潔感はなく、淡々ともの静かに真摯に記述されていました、念のため。)


 また、虫明亜呂無氏が感嘆したこととして、ポール・ヴァレリーの名詩「Le Vin Perdu」(失われた酒)をフランス人講師が読み上げることが挙げられます。フランスの風土に根ざして成長したフランス人が、その肺、鼻腔を駆使してこの名詩を朗読している・・・これは素晴らしいことであると。このような身体性へのこだわりを持ち続ける虫明亜呂無氏に、かの三島由紀夫氏がラブコールを送ったという話もあります。三島由紀夫氏も、虫明亜呂無氏とおなじく身体性へのこだわりがあったという訳です。(三島の全集の注釈を頼まれたのだったか?)


虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日-1991年6月15日)は、作家、評論家、随筆家、翻訳家。
東京市本郷区(現在の東京都文京区)湯島生まれ。開成高等学校を経て早稲田大学文学部仏文科卒。早大文学部副手を経て、雑誌『映画評論』編集部に所属。ドナルド・リッチーの評論の翻訳などを行う。
のち、フリーとなり、文芸批評、映画評論、スポーツ評論、競馬エッセイなど、独特の美的文体と幅広い知識により、多彩な活動を行う。1979年には小説「シャガールの馬」で直木賞候補となった。
また記録映画「札幌オリンピック」の脚本も担当した。1991年、肺炎のため68歳で死去。

Wikipediaより

今日のひと言:必要な時期に必要なものは目の前に現れるという感想を私は持ちます。つまり身体性についても、養老孟司氏のベストセラー・「バカの壁」は、本来の書名としては「脳化社会と身体」がふさわしいように思えます。そうです、私にとって虫明亜呂無氏は、「脳化の最前線に行ってしまい(数学科での日常)、身体性というのを忘れてしまうこと」に警鐘をならしてくれたのでしょう。


 現代ほど身体性について注目されている、またされていない、でもされるべき時代もないでしょう。機械、コンピュータが人間のやる作業を代行するのが当たり前の時代。だからこそ、ここに至り、虫明氏の論は光芒を放つのです。

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それから、なんと!!「クラナッハの絵」を読む機会が出来ました。図書館の相互貸借で読めるようになりました。先にあげたヴァレリーの詩のくだりを書きますと・・・

 

「誇張でなしに、ぼくはそのとき、うまれてはじめて肉体の声を聞いたと思った。フランス人で、しかも詩人としても名の知られた先生が、フランス語の詩を読むのだから、それが素晴らしい音楽となってぼくの耳にはいってくるのは不思議ではないのだが、先生の詩の朗読は、ぼくらがとうてい身につけることのできない人間の肉声が内に含んでいるもののゆたかさを伝えてきた。それはぼくらがどのように苦心しても、努力しても、表現できぬ声の響きと、抑揚の確かさであった。口の構造、口のひらきかた、舌の位置、こめかみ、肉のつきよう、肺、その他肉体のすべてがちがった人の発する声が、ぼくをある種の感動でつつんでいたのである。ぼくはおぼろながら、フランス詩の朗読から肉体の存在を意識しないではいられなかった。(164P−165P)

ここで言及されている詩人はノエル・ヌエット氏。

関連過去ログ:マラルメヴァレリー 海に寄せる師弟の詩
  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20071022


肉体への憎しみ (ちくま文庫)

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ムッシュー・テスト (岩波文庫)

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