「うちの塾で働きませんか?」とのオファーを受けたのが5,6年前のこと。当時プータローで家庭教師の口を捜していた私は、広告新聞に記事を載せていたのだった。ただ、家庭教師ではなく塾講師としてのオファーだったし、なにぶん遠い距離にある塾だったため、ちょっとためらったが、塾長とその奥さんと面談して、このオファーを受けることにした次第。塾長がかなり型破りの人生を生きてきた人だったので、意気投合した部分もあった。
ネックにある「距離の遠さ」は、私が途中まで電車で行って、駅口に奥さんの車が待っている、という具合。そのようにして諸問題をクリアーしたあとで、本格的にこの塾に通勤するようになったのだ。
「思いやり」の塾とはどんなものだったか・・・それが曲者なのだった。中学三年生は女子ばかり7名であると聞いていたが、私が通いはじめたときには4名となっていた。
どうして3名減ったのか?――それは、問題児が2人もいて、授業の進行を妨げられるので、塾に来なくなったからだ、と塾長に聞いた。でも、それって、経営者の感覚としてはオカシイはずで、私が塾長なら、ためらわずにその問題児2名を退塾処分にして、やめてしまった3名と入れ替えしにすべきだと思う。
なお、中学2年生の男女一人づつの教室では、女子生徒がなにかの理由で休んだとき、私は塾長から耳を疑うような指示を受けた:「彼女のために」授業を進めないでくれ。
休むほうが悪いのであり、せっかく出てきたのに前回の授業の繰り返しをさせられる男子生徒のことにまで気が及ばない・・・・
ここに断言しよう、「思いやりの塾」とは、「エコヒイキの塾」だと。問題児2名、休んだ女子生徒・・・かれらについてのみ「思いやり」をみせるが、ほかの生徒はシランプリ。
もともと、この塾長は、自分の娘が高校受験を控えていて、娘のために塾を開いたというある意味篤志家だが、なんにせよ、受験産業では素人中の素人だった。その証拠が、誤った「思いやり」なのだろう。
問題児2名については、通塾している間は「慢性の下痢」に悩まされていたが、彼女らと喧嘩し、塾を辞めてから、すっかりよくなった。
この塾、塾長がもうすでに自分の娘の受験が済んでいるだろうし、とっくに閉鎖しているんだろうな。