虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

足利尊氏VS新田義貞:家紋の争い


  左:大中黒(新田氏)中:二つ引両(足利氏)右:三つ引両(三浦氏)

http://www2.harimaya.com/sengoku/bk_okori.htmlより


 鎌倉幕府を滅ぼすことに功績のあったこの2人は、「兄弟相食む」ことでも特異的な間柄です。


 両者とも、先祖は源義家の3男、源義国が共通で、その長男の源義重が新田氏の祖、次男の源義康が足利氏の祖であり、兄弟のように近しい出自でした。そして新田氏は今の群馬県太田市、足利家は今の栃木県足利市に拠点を持っていました。渡良瀬川(わたらせがわ)の両岸ですね。


 ところが、鎌倉幕府源頼朝が立ち上げた際、積極的に協力したのが足利家、以後鎌倉時代を通して幕府から優遇を受けます。一方、新田氏はと言えば、非協力的だったので幕府からは冷遇されます。


 だから鎌倉幕府を打倒したいと言う思いは、無位無官の貧乏豪族・新田義貞(1301−1338)は強くもっていたでしょう。群馬県新田郡の生品神社(いくしなじんじゃ)で戦勝祈願して、数十騎で打って出て、途中賛同者も加わり、足利尊氏(1305−1358)の長男千寿丸を擁し、鎌倉に攻め入り、北条執権家を滅亡させ、ここに鎌倉時代の終わりを演出したのです。ラッキーではあったとは言え、見事に歴史的な偉業を成し遂げたのです。


ただ、その偉業は、結果として鎌倉幕府とは違う幕府――室町幕府を建てることに帰着し、天皇の親政は実現しませんでした。それもそうです、武士階級の力は、江戸幕府の終わりまで続くのですから。「建武の新政」は、武士の天下のなかに咲いた徒花(あだばな:実を結ばない花)だったのです。あるいは反動です。


 一方の足利尊氏は京の六波羅探題(ろくはらたんだい)を滅ぼし、京でも鎌倉幕府を壊滅させるのに貢献しました。


 問題はその後です。後醍醐天皇につくか、つかざるか・・・で2人のその後の運命が決せられたようです。足利尊氏天皇に叛き、賊軍となったのに対し、新田義貞天皇の寵愛がなくなってきた美人の「勾当内侍(こうとうのないし)」を頂戴して、舞い上がったのかも知れません。


 そこで両者は何度か干戈を交えるのですが、面白いエピソードがあります。・・・新田軍が戦の小競り合いに勝ち、足利の紋所「二つ引両:ふたつひきりょう」を拾い、「この旗、真ん中を黒く塗りつぶせば、われらの紋所「大中黒:おおなかぐろ」になる、と言って快哉を叫んだというお話。


 なかなか機転の利く武士たちですが、こうも考えられないでしょうか。・・・「二つ引両」は「大中黒」になれても、「大中黒」は「二つ引両」にはなれない。新田は足利には対抗できない・・・。不可逆的なのです。


  現に、足利尊氏は政権を得ましたが、新田義貞は北陸で戦死しました。


今日のひと言:NHK大河ドラマでは、彼らの時代、南北朝時代を一度しかとり上げていません。新田義貞とか楠木正成などの場合、それなりの存在感がありますが、1年通してとり上げるにはエピソードが少ないのでしょうね。

 
 旗と言えば、昨年の衆議院選挙の際、民主党党員が「日の丸」を切り貼りして、党旗にしたというニュースがありましたが、これには不快感を持たざるを得ません。私は右翼でも国粋主義者でもありませんが、一国しかも自国の国旗をあまりにゾンザイにしているな、と思います。


私本太平記(一) (吉川英治歴史時代文庫)

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