アイヌ神謡集〜〜知里幸恵の詩才・語学力

- 作者: 知里幸恵
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1978/08/16
- メディア: 文庫
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これは、登別あたりにルーツのある、アイヌの酋長の家系・知里家の長女・知里幸恵が記録した「アイヌ神謡集」の一節です。(アルファベットはアイヌ語を正確に反映しています。)
蛙が自らを歌った謡
(Terkepi Yaieykar,)
「トーロロ ハンロク ハンロク!」
(Tororo hanrok hanrok!)
私は以前NHKラジオの朗読番組でこの作品を聞いたことがありますが、とても透明感がある秀作だと思いました。
冒頭の、我々にとっては意味不明な言葉は蛙の神の鳴き声で、蛙(かえる)の動物神が、いたずらしようとして、「オキキリムイ=最強の神?」に近づき、彼の怒りを浴びて、死んでしまうというお話です。蛙の神はちょっと喉自慢をしただけなのにね。話の締めくくりは
私はもうこの様につまらない死方、悪い死方をするのだから、
(Chiokai anak tane tankorachi toi
wen rai chikishiri tapan na,tewano okai)
蛙たちよ、決して、人間たちに悪戯をするのではないよ。と、ふくれた蛙が云いながら
死んでしまった。
(terkepiutar itekki otta iraara yan.
ari pisenterkepi hawean kor raiwa isam)
幸恵は「アイヌ神謡集」の序として、「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人だちであったでしょう。」
と述べています。その平穏を打ち破ったのが「シサム」(和人=日本人)です。まるでアングロサクソン民族がインディアンたちにしたのと同じようなことを和人はアイヌにしたのです。土地の個人所有など、アイヌの人びとには無縁な行為でした。あと、印鑑の法的意味。
すっかり「劣等民族」との烙印を捺されてしまったアイヌの、希望の星が幸恵でした。
とにかく、頭がよい。シサムが通う学校は、あまりに頭のいい幸恵を警戒し、門戸を閉ざします。そこで彼女は「旭川区立職業学校」に進学するのですが、ここも優等な成績で卒業し、シサムの話す日本語を完璧にマスターします。それで、アイヌ神話を日本語に翻訳するという作業が一人でできたのですね。それと、詩才もあったということでしょうか。
そして、彼女は運命の人・・・金田一京助に出会います。彼が「アイヌ神謡集」の出版に関係し、もっと一般教養も付けさせてあげたい・・・という親切心から、幸恵を東京に呼び寄せます。この時点で幸恵には婚約者がいました。そして、幸恵は「貞操帯(ポンクツ」を身につけていました。婚約者以外にはこの帯を見せないという決意です。
そして、今やアイヌ語と日本語のバイリンギャルであった幸恵は、英語の習得に励みます。もし、英語もマスターできたなら、直接アイヌ語を欧米諸国につたえることもできたはずです。トリリンギャルですね。
ところが、彼女は致命的な病気を抱えていました。「僧帽弁狭窄症」。心臓病です。東京に出てきてから、悪化したこの病気は、幸恵の生命を奪います・・・19歳の夏のことでした。でも、「アイヌ神謡集」だけは、無事出版されました。
彼女の仕事は弟2人が引き継ぎます・・・世界に誇るべき叙事詩「ユーカラ」の保存です。
知里高央(ちり・たかなか)と知里真志保(ちり・ましほ)。
参考文献
アイヌ神謡集 岩波文庫
知里幸恵 十九歳の遺言(中井三好:彩流社)
今日のひと言:アイヌの人びとは、シサムに圧迫されてから、クリスチャンになる人が多いようです。知里家もそうです。これは、現実はシサムに圧倒されていますが、「何人も神の前では平等」という教義に活路を見出したということでしょうか。