虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

答えられても・答えられずとも・「殴る」〜〜徳山宣鑑(禅僧シリーズ)

 たまにとり上げている中国・唐の時代の禅僧のお話の一環です。この徳山という坊主が傑出している点は、弟子と問答をして、弟子が答えられても・答えられなくても・一貫して棒で殴るという点にあります。



 どこから、この一種傲慢な態度は醸成されたのでしょうか。徳山は、「金剛経」を学ぶ学僧であり、その解釈の優れていることを鼻高々にしている僧でした。その勢いを持って近頃評判の禅宗折伏してやろうと考え、実際負けたのは徳山でした。しかも、その寺の門前で饅頭屋をしている老婆に言い負かされるのです。そして、その禅寺で修行して、お経の解釈だけでは悟れないと考えた徳山、大事な「金剛経」を火にくべて燃やしてしまいます。



 その「大悟」した状態で、徳山は、以前もふれたIZAN(正確な漢字がなかなか扱いにくいのでローマ字表記とします)のところに行きます。散々無礼を働き、IZANの前に現れた徳山、IZANが礼の手続きを行おうとしたとき、「喝!!」と見下して去っていきました。あとでIZANが「さっきの新着の雲水はどうした?」と弟子に聞いたところ、「もういません」
 IZANは言います:「あの雲水は、将来、誰もよりつけぬような峯の上に草庵を結んで、仏を罵り、祖師方を罵ることであろう」


紀野氏(宗教学者、すぐ下で触れます↓)による両者の格付けは、この時点で、IZANが歴戦の将軍、徳山が新任の将校くらいの差があるとしています。


 ここまでは「禅  現代に生きるもの」(紀野一義NHKブックス)の記述ですが、上のIZANが徳山に与えた評価を良い方にとっていると思われます。前人未踏の境地にあいつは行くだろう、との好意的な解釈です。




 言葉を失ったのは、徳山自身の選択枝であり、その時点で、彼は言葉というものを放棄してしまったのだと思わずにいられません。言葉のプロであるIZANに言葉を使わせなかったこと、これはいかにも無礼な態度です。IZANの言葉、これすなわち「あいつは猿くらいしか導けない・猿をも導けない」との意味に、私は採ります。だからこそ、人の寄り付かない山中でひとりむなしく暮らすことになるのでしょう。来るのは人間の形をした猿だけ、ということになりますか。


 一つの行為にも、陰陽2通りの見方があることは易経(えききょう)が教えるところですが、IZANの言葉、そのままの意味で、「人を教えることはできまいよ」と私は採ります。


 そうすると、徳山の弟子たちは、マゾで、徳山はサドだったということになりますね。徳山に打たれることを、喜んで受入れていたのだそうですから。徳山はSMプレイの始祖だったかもしれません。
恐らく、そんな風景だったと思います。体育会系の乗りですね。猿も導けないと思います。「無分別」という言葉がありますが、通常1)「分別(ふんべつ)」・・・「良い悪いの区別がつく」ことを言い、それが出来ないことを「無分別」といいます。ただ、2)逆の解釈もあり、「無」=[@を超える]という意味として、「分別(@)を超える」という派生的意味もあります。



 そして私は徳山が1)の「分別の出来ない」教えしかできなかったと思うのです。




今日のひと言:それにしても、中国・唐の時代、同じ禅宗にしても、いろいろな流儀があるのだな、と思います。なにを聞かれても「大地を打つ」だけだったという僧もいます。(打地坊主)なんだか、ギリシャ時代のアテナイの学堂のように、いろいろな僧侶がいたのです。ちょっとアブナイ人もいたことでしょう・・・徳山みたいに。



補足:徳山の禅は、ちょうど日蓮が「四箇の格言」によって禅宗の盲点をついている、その点にあたるような気がします。日蓮曰く「禅天魔」。経典は月をさす指のようなもので、月に至れば必要ない(不立文字)の世界を地で行っているからです。徳山は。自分で拠って立つ金剛経を火にくべたのですから、彼には言葉で人を導くことが出来なくなり、今回述べた問答(?)・・・ひたすら打つ、という選択肢を取らざるを得なくなったのです。


あ、ただ単に、人を殴りたかっただけのお人だったのかも知れません。





禅僧シリーズの過去ログ
 
 http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060505 百丈
 http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070425 IZAN


浄土三部経〈上〉無量寿経 (岩波文庫)

浄土三部経〈上〉無量寿経 (岩波文庫)

禅―現代に生きるもの (NHKブックス 35)

禅―現代に生きるもの (NHKブックス 35)