虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

老子問答   その6

**老子は古代中国の哲学者。図書館の司書をしていたが、当時の王朝が衰微したのを感じ、西方に向かうとき、関所の役人・インキにリクエストされ、「老子」上下2編を著したと伝えられます。今回は今次シリーズの最終回。



         樸(あらき)について


(レス)   (前略)
あなたは、私がこれまで出会った女性の中でも、と、言うより人の中でも、理解力
に秀でた人物の一人ですね。これは本当にそう思います。老子28章もこれまでの示
唆で、大体お分かりになったようですね。その上で、この章について補足して置きます。「樸
(あらき)」という言葉に注意してください。この字は「素朴」の「朴」と同じ意味
で、「切りたてで、まだ加工していない状態の木」のことです。加工されると、それ
ぞれの用途に有用となるのは勿論ですが、一方で、その用にしか使えず、使う者の従
属物となってしまいます。そうなっていない状態の「樸」を、特に老子は珍重しま
す。用途が未確定だから、例えそれがとても小さな材木であろうと、その主人はいな
い・・・使役されない、独立独歩の人間を暗示するのです。いつか、マンガ「美味し
んぼ」で、主人公・山岡士郎の父で、山岡とは犬猿の仲の海原雄山が、沖縄のリゾー
ト開発を進める、悪徳不動産屋の社長をどなりつける、という場面がありましたが、
この社長、多くの社員を抱え、威張りまくっていたのでしょうが、(すなわち、社員
たちは「器」なわけです。)「樸」である雄山にはまったく通用しませんでした。雄
山は、陶芸家として押しも押されもせぬ地位を自ら築いていますから、チンピラ社長
の機嫌を取る必要など、まったくないわけです。
 同じように、老荘思想では、「役に立たない大木」も珍重されます。これは、特に
荘子でよく出てくることがらです。(05.06.24)


          渚が潰される!


健康診断の後、だんなが(夜勤明けで、だんなも健診受けました)ユンボを見かけ、
2歳の子どもをつれて、「あっちの方へ行ってくる」といって出かけました。そし
て、帰ってきて「工事現場の人と話したが、あっちの渚を全部ずーっと埋め立てるら
しい」という話をしました。
私「何のために?海産物なんて取れなくなるじゃん」
だんな「なんのためなんだろうなあ・・・」
私「こんなとこ、人住まなくなるよ」
まわり、住民には何の相談もなく勝手に実行する。このテの怒りが浮上してくると、
心拍数が上がったり、偏頭痛がしてくるので、さめた目で構えようとするのですが
(こういったことがあちこちで頻繁に繰り返されているので。それも反対されてもそ
れを押し切ったり、激しい戦いになったりして)・・・。
ほんとにこういうのには、体中の力が抜けていくような喪失感というのがあります・
・・。
子どもたちの遊び場がなくなっていくのです。私たちの馴染んできたものや、自然の
美しさなどを感じる畏敬のある姿を見ることや、陸と海の自然の境目を見ることがな
くなっていくのです。

そのままの渚はそれ自体が、ずっとずっと続く財産なのに・・・。

目の前にこういうことがあると、私は何かよいことをしているかと思います。
森下さんに教えていただいたHさんってえらいと思います。

これからも森下さんの目で理解している「老子」を、教えてください。28章について
書いてくれたことを読んでいて、だいたい私の解釈したものと似ているとは思ったけ
ど、やはり森下さんの方が豊かで深い読みで、ほんとに感心してしまいます。「樸」と
いう言葉についても、その知識がなければ、正しい理解とは言えなくなりますね。そ
れに、その字について、その言葉について、調べてみると言うのは基本ですね。
「樸」という言葉についての知識はありませんでしたが、「あかご」「削られる前
の」「大なる制は割わず」等々で、ある程度どういうことを言っているのか掴めまし
たが、森下さんのお話は本当に参考になるし、森下さんが私へのメールに書かれたような
ことを書いて、「老子」についての本書いたら、ほんとにいい本が書けそうに思いま
す。

ところで、老荘思想といいますが、どうして老荘思想というのでしょうか?どうして
老子荘子をいっしょにするのでしょうか?思想が似ているのですか?似ていて
もあまりそんなふうにいっしょにしないほうがいいような気もしませんか?
                     (05.06.25)


         土建国家・日本(レス)


その怒りは解かるよw!
 あなたの地域でやられている工事、なにも渚だけでやられているのではありません。
山でも、平地でも、どこでもです。それほど、日本という国は土建屋天国なのです。
私の住むS市でも、田んぼを潰して宅地にし、住宅を建てるという営為がな
んの疑問も持たれずに行われています。それに、私が今借りている畑だって、景気が
良ければ、あと2年半くらいでスーパーマーケットとか住宅供給会社(某Dハウス)
に取り上げられる運びです。
 私が執筆を予定している「有用植物と私――反ガーデニング論」(仮題)は、検討
の結果、土建国家・日本を撃つ内容にすることにしています。ガーデニングと言え
ば、なんだか聞こえはいいけど、要は、父母と同居せずに、田畑を潰して家を新築
し、「さあ、何かすることないかしら?」・・・・と思った主婦が飛びつく、底の浅
い趣味に過ぎません。その過程では、土方(どかた)たちの流す汗のことは考えるこ
となく、田畑という重要な緑を潰して出来上がった果実(マイ・ホーム)だけを享受
する・・・・そこにまた「見るだけの」緑を再現する・・・・と言った、倒錯した営
為が行われているのです。(注:この本は、もっとテーマをしぼって「野草を食べる――滋味(JIMI)!!」という本にして、自己出版しました。)
 私がこのように取り上げたら、槍玉に上がった主婦たちはこう言うでしょう――
「私たちが、何か悪いことをしたって言うの?」――ええ、そうです、しているので
す。彼等が望んだ生活様式、それ自体が間違っているのです。自分ではなんの問題も
ないと思って続けている生活様式が、土建国家・日本を支えているのです。
 ここで、また「老子」ですけど、46章を読んでみて下さい。「足ることを知るの
足るは、常に足れり。」ここでは、ガーデニングをやる主婦たちの深層心理におい
て、決定的に間違った点が語られていると思います。