虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

老子問答   その5


**老子は古代中国の哲学者。図書館の司書をしていたが、当時の王朝が衰微したのを感じ、西方に向かうとき、関所の役人・インキにリクエストされ、「老子」上下2編を著したと伝えられます。



老子27章への疑問「自我を消滅させた人」の実例を語っていただきありがとうございました。質問した
のは、老子は、君子は○○である。等、書いているけど、実際そういう人がい
たのだろうか?そういう人の政治等がよかったのを見届けて書いているのか?そ
れとも老子自身の内的体験として何かそういう確信を得たのか?(そのどちらかも
しれないけど)というような疑問が、読んでいて浮上してきたので。そして実例がな
いと、そういう君子のイメージとしてつかみにくい感じもあって(特に章によって書
いてることが矛盾している感じのことを理解するのにも)__。それに、あんまりそ
ういう人を見たことがない、というのもあったので。


老子」27章。「故善人者」以降は、なるほど、納得と思うのですが、なぜ「善行
無轍跡」から「而不可解」までのことが、「是似聖人常善救人」「それゆえいつも
人々を救い出すことに優れている」となるのか、急に。結ぶのに優れたものは縄も巻
き紐も使わないが、ほどくことはできない。それゆえに、と書いているが、それがど
うして人を救うことに優れているということになるのでしょうか?
抽象的というか、象徴的すぎるのでは?という気もするし、でも、これが具体的って
言われれば、それも否定出来ないし。(05.06.23)




      老子と物(レス)まず、「自我の消滅」についてですが、私の挙げた3人は、もとより老子よりは後
の時代の人です。すると、老子は、「君子」なり「聖人」なりと呼びうる人の実例を
知っていたのか、それとも彼の省察の中での理想像なのか、という疑問に答えるのは
難しいですね。ただ、老子はBC5世紀くらいの人であるとして、それに先立ち中国文
明は既に2000年くらいの歴史はありましたから、孔子司馬遷に匹敵するような
人は実在したでしょうね。黄帝(こうてい)とか神農(しんのう)とか (ぎょう)とかね。その事跡から老子は彼なりの理想像を考察した、と考える
のが自然だと思います。なんと言っても司書でしたから、参考文献にはこと欠かな
かったでしょう。「老子」15章には、そのような人々のあり様が記述されています
ね。
 少々訂正。先のメールで、鈴木貫太郎は5・15事件で殺されかけた、と書きまし
たが、2・26事件の誤りでした。
 さて、27章。老子お得意の「論理の飛躍」にぶち当たりましたね。純粋に論理的
に読む限り、あなたの言うような断絶が確かにあり、繋がりが見えない、というのは
正直なところか、と思います。そこで、私が注意を喚起したいのは、「老子」におけ
る「物」という言葉です。老子の中では、通常より広い意味で使われます。例えば、
31章に「夫れ佳き兵は、不祥の器なり。物或は之を悪む。」とありますが、ここで
いう「物」とは、人間も含めた生き物もとより、無生物も含んでいるようです。森羅
万象すべてを「物」と表現している、と私は見ます。以下、27章の引用。