虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

当たり前に存在する「暴力」――矢野顕子の場合

  「暴力」

 
矢野顕子
暴力を  否定しながら
子どもを 産んだ。
ところで
SEXって、実は
暴力なんだよね。
男も女も
暴力を 行使して
子どもが 生まれる。

矛盾してるよ、
アッコさん。



(↑MIXIのコミュに投稿した詩)




金井克子の往年のヒット曲「他人の関係:1973年」に、「そして愛しあうときに何もかも奪い合うのよ」というセリフが出てきます。男女は、お互いに奪い合うものなのです。
それよりなにより、暴力の「暴」という字は、漢和辞典によって解釈が違いますが、「米(ないしは皮)を日に当てて消毒すること」を意味します。それは、品物の品質保持のために必要な行為で、それをしなければカビが生えてしまいます。第一、SEXするには、男女とも裸になり、お互いの肉体をお互いに「晒さなければ」ならないでしょう?これが「暴」の意味なのです。あるいは「曝露」のように内部機密を公表する場合などに使います。「暴」と「曝」はほとんど同じ意味です。「暴」という言葉は、否定的な意味だけでなく、肯定的な意味も持つのです。


 だから、「暴力」を一概に括ることは難しいのです。確かに、他民族を弾圧するのは、人道的に許されるものではありませんが、矢野顕子の唱える「絶対平和」というのは模造品に過ぎません。「エホバの*人」という宗教の偽善性もこの一つの事例でわかるというわけです。
 それにしても、元来宗教に惑わされるはずのない坂本龍一まで「エホバの*人」に巻き込む矢野顕子の「女性力」のすごいこと。感服するまでのことです。(でも、ただそれだけ。)


坂本龍一矢野顕子夫婦の場合、坂本の浮気に耐えられなくなった矢野が「エホバの*人」に入信したと聞きました。なお、矢野顕子は、自分の子が接するメディアを検閲し、暴力シーンを含むマンガなり小説なりを制限していた、といいます。これは「母という暴力」と言ってもいいでしょう。暴力を否定して、新たな暴力に至る・・・バカですね。暴力シーンを子供に晒させまいと、暴力シーンを遠ざけること自体が暴力なのです。)




過去ログ・暴力関係の考察
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060122
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060123
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060124




今日のひと言:それにつけても、カノジョが欲しい!!(血の涙T_T)