虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

ボードレールがフランス象徴詩の祖――世界一のフランス象徴詩

巴里の憂鬱 (新潮文庫)

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ボードレールフランス象徴詩の祖――世界一のフランス象徴詩
   フランス象徴詩特集 その2



**万物照応: Correspondances

  および「象徴の森」をキーワードにするソネット
詩人と世界の万物が有機的につながる、という詩です。

この詩は、フランス象徴詩の誕生を告げる詩でした。
ただし、訳文をそのまま載せるのには躊躇があり、ダイジェストにもならないダイジェストにしました。



これは、フランス象徴詩の誕生宣言と言える詩(ソネット:14行詩。4.4.3.3行からなる)です。「悪の華」に掲載されていました。この詩の第一連にある「象徴の森」という言葉は有名です。


 ボードレール(Charles Bauderaire:1821−1867)は、社会不適応者でした。散々買春しては梅毒(ジフィリス)になるは、ガラス屋をわざわざアパートの2階に呼びつけては、商品のガラスを粉々にするは(散文詩集「パリの憂鬱」より)、挙句の果ては禁治産者にされました。ある意味、人間のくずです。でも、こと詩に関しては、フランス象徴詩を開拓した者として、天才の名に相応しい業績を残したのです。実生活を犠牲にし、芸術にその命を懸けたわけです。アルチュール・ランボー(Arthur Rimbaud:1854−1891)のプロトタイプとも言えるでしょう。
 ボードレールの人となりについては、アナトール・フランス(Anatole France:1844−1924)の一くさりが参考になります。いわく「冒涜(ぼうとく)する快楽をあたえてくれるので、彼は見知らぬ神を信じていた。」(杉本秀太郎:悪の花)


 この概念――万物照応こそが、世界に並ぶものの希な、フランス象徴詩の母体となったのです。
 私という「内宇宙」と世界という「外宇宙」が相互に呼応しあうという出合い、その神秘を解き明かすことに、フランス象徴派の詩人は精力を注ぎました。そこには、「詩の音楽化」という試みもなされています。 フランス語でLe symbolisme(ル・サンボリズム)ですが、私はこの象徴という言葉には、あまり囚われないほうが良いと思います。あくまで万物照応の観点から見るべきだと思うのです。ランボーはそれを実現するため、「詩人は感覚を濫用して、幻視者(le voyant)になるのだ」と宣言しましたが、それには実生活上の相当な無理を重ねなければならず、ボードレールランボーも途中で挫折してしまったわけです。フランス象徴詩を全世界的に不滅のものとしたのは、当たり前の生活を送ったマラルメ、その弟子のヴァレリーです。なかでもヴァレリーの「失われた酒」はフランス象徴詩の頂点に位置します。この詩のなかで、万物照応の理論は、見事に実体化されたのです。前々回ブログ参照。


 ここ(失われた酒)で歌われている、「私」と「虚無」とのコレスポンダンスは、秘教的とさえ言ってもよく、完璧です。この詩1つに、中国詩すべて束になっても敵わないと断言します。李白杜甫も白楽天李商隠も、いわば一つの平面の上をうごめく蟻のような詩を書いたに過ぎません。(ただ、唐の詩人・王維にこの境地に近い詩があった記憶はありますが・・・「竹里館」だったか)フランス象徴詩はそこに立つ塔、その天辺にたたずむフクロウがヴァレリーなのです。もちろん、この塔を建てたのは、ボードレールランボーヴェルレーヌたちです。その基礎作り、ファウンダー:founderが、ボードレールです。


今日のひと言:次元が違う、という言葉がありますが、万物照応の理論によって、フランス象徴詩は、ほかのどの国の詩人も到達しえなかった高みに立ったのです。


なお、ボードレールに多大なインパクトを与えたエドガー・アラン・ポーについては、稿を改めて書くかもしれません。