虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

宗達の犬

iirei2007-09-12

 *1189547389*宗達の犬



    犬図 →
 俵屋宗達(たわらや・そうたつ)は
こうあっても良い、あああっても良い
とでも言わんかのように
デザインを作る・・・なかでも首を180度回した
「犬図」は私を大いに楽しませてくれる。




以上は、MIXI上のコミュに載せた詩です。俵屋宗達は、桃山時代から江戸時代初期に活躍した絵師で、自由奔放な画風で知られます。生没年未詳。

個人の画家として認識されたのは近世であるとのことですが、町衆 (まちしゅう)出身の画家として「法橋」(ほっきょう)という皇室御用絵師にのぼり詰めます。

自由な発想の絵画で知られますが、実は、「絵柄」は過去の他人の画集から持ってくることが多く、「パクリ」に限りなく近い行為を行っています。でも、ちょうどイギリスのシェークスピアと同じで、オリジナルを超えてしまうのですね。この「犬図」もそうで、元絵があります。ただし、その絵は、死体をむさぼり食らう犬たちを描いたもので、イヌの一頭が肉を引きちぎるために首をひねっているのですが、宗達の「犬図」ではそういった凄惨さは影を潜め、単にユーモラスなイヌに化しています。死体は描かず、空白にして、二匹の犬が合い対峙しているようにしたのがミソですね。オリジナルを、このように宗達は超えていくのです。国宝「風神雷神図屏風(ふうじんらいじんずびょうぶ)」も例外ではありません。この偉大な絵の大元のイメージは「犬図」ではないか、と思われるのです。また、風神雷神図屏風の場合も絵のモデル(この場合彫刻)が存在します。彼は旧来の絵や彫刻をデザインの素材と考えていたようです。(「新潮日本美術文庫5」の解説に拠りました。絵も)


  全体は扇絵(宗達は扇絵師だった)の体裁を取り、その枠内で自由闊達な構図を取ります。左右にイヌを配し、余白はこの二匹を結ぶ線と自然物が結ばれる線が交差する・・・こういった発想は国宝「風神雷神図屏風」などでも生かされていると思います。それにつけても、ブチ犬のユーモラスなことと言ったら!


  BGM:子犬のワルツ(by  ショパン・Chopin)


今日のひと言:俵屋宗達の流れを汲む日本画の一派を「琳派(りんぱ)」と呼びますが、この「琳」というのは「尾形光琳(おがた・こうりん)」から来ていますね。ただ光琳も後の時代の酒井抱一宗達の「風神雷神図」を模写していますが、だれを取っても、オリジナルには及ばない気がします。だから「琳派」というより「達派」と呼ぶのが相応しいと思われます。ただこの「琳派」、狩野派のように一子相伝ではなく、「共感」を持って時代を超えた描法を学習した画家の総称であるからには、それだけの素質はあった人たちなのでしょうね。


 ところで尾形光琳の代表作の一つである「燕子花図屏風」ですが、以前にNHKの美術番組でその驚異の構図のカラクリが語られていました。そのときは私は「さもありなん」と思い、納得しましたが、後で考えるとこの理解は本物とは思えなくなりました。これは「隠れた」見えない構図であり、一見してわかる宗達風のものではないと考えるにいたりました。私は言います:尾形光琳の代表作の一つである「燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)」は詰まらない。ただ金地に緑と青が点在しているのに過ぎない絵ではないかと思います。俵屋宗達尾形光琳では、横綱と前頭(相撲)ほどの力量の差があるのではないか、と思います。あるいは、遊び心にあふれているのが宗達、クソ真面目なのが光琳ですね。ただし、光琳の「紅梅白梅図屏風」の、真ん中を流れる川の、波の表現はすばらしいと思います。なお、中村芳中という大阪の絵師が、宗達の「たらしこみ」の水墨技巧を見事に継承していて、もっとクローズ・アップされてもいいな、と思います。



俵屋宗達 (新潮日本美術文庫)

俵屋宗達 (新潮日本美術文庫)



今日の小噺
  Q:自民党安倍晋三総理が自決・もとい・辞任したんだってさ。
  A:へー、これからは自民党でなく辞任党と名乗ればいいさね。





「幕府を作りたいのですが」欲しい!

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