虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

エタノール車と「小国寡民」

*1188683957*エタノール車と「小国寡民


 ギリシャ神話に登場するお話で、現代のわれわれを風刺していると見られるものがあります。テッサリア王のエリュシクトンが、女神デメテルの神木を伐採した不信心の報復として、「いくら食べても満足できない」という罰を受けました。それからというもの、国中からいくら食糧を集めてむさぼり食っても、決して満腹感が得られず、しまいには自分の指さえ食べ始めたというお話です。
 私は、私たちの文明が、このおろかなエリュシクトンに大変似通った陥穽に陥っていると思います。
 本来なら、自給自足で賄える食糧でさえ、遠くから大量運搬手段で運んでくるようになったのです。この際、自動車がもっとも有力な運搬手段ですが、排気ガス地球温暖化に一役買っているからと、燃料面から対処したものの一つとして「エタノール車」ないしは「バイオ・エタノール車」が有望視されています。石油のような化石燃料でないぶん、作った分だけ環境に与える影響が少ないというわけです。
 サトウキビの産地ブラジルでは、砂糖用から燃料用に振り分けるという政策が採られていますが、これは、食糧を燃料に置き換えるということですよね。燃料を取るか、食糧をとるか。
 もともと世界の食糧は将来にわたって不足気味であるその上に、食糧を燃料に変えるというとはどういうことでしょうか。さらに追い討ちをかけて、アメリカ合衆国の利益にしかならないグローバル化とかWTOがものを言います。貧しい国からは食糧でさえ燃料として強奪して、アメリカをはじめ一握りの富裕国家が食糧も燃料もわがものとしてしまうのです。



 「老子」80章に「小国寡民」(しょうこくかみん:国は小さく、住民は少ない)というお話が出てきます。
##国は小さく住民は少ない(としよう)。軍隊に要する道具はあったとしても使わせないようにし、人民に命をだいじにさせ、遠くへ移住することがないようにさせるならば、船や車はあったところで、それに乗るまでもなく、甲や武器があったところで、それらを並べて見せる機会もない。もう一度、人びとが結んだ縄を(契約に)用いる(太古の)世と(同じく)し、かれらの(まずい)食物をうまいと思わせ、(そまつな)衣服を心地よく感じさせ、(せまい)すまいにおちつかせ、(素朴な)習慣(の生活)を楽しくすごすようにさせる。(そうなれば)隣の国はすぐ見えるところにあって、鶏や犬の鳴く声が聞こえるほどであっても、人民は老いて死ぬまで、(他国の人と)たがいに行き来することもないであろう。
    (小川環樹:中公文庫  168P)##


現代の逼迫した環境問題においては、この記述が一段と意味を帯びてくると思えます。グローバル化とは相容れない考え方ですね。この考え方を、「技術の進歩を知らぬ妄言」
とかたずけることができるでしょうか。現代の諸悪の根源は「遠くのものを手にいれたい」という幼児的な心理がはたらいているのですから。だからここまでの環境悪化を生み出したのです。もし、この事態を悪行と呼ぶなら、
バイオエタノールは、その宴で振舞われる「お酒」ですね。





今日のひと言:過去の古典でも、用語や事態を読み変えれば、その古典は鮮やかに現在を語りだすのです。なお、老子46章に「故に足りることを知るの足るは、常に足れり。」
       というコトバが出てきます。充分であると思う心を持てば、足りないということはないのだ、との意味です。
       それにしても、ホンダはすごい。あらかじめ穀物の非可食部からエタノールを取り出す試行をしていたのですから。(朝日新聞07.05.11)




以下のブログにTBです。「栽培生活blog」: 不耕起農業実践者の日記です。なかなかマジに取り組まれています。


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図解 バイオエタノール最前線

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