毟られる(むしられる)花
アフリカン・マリーゴールド →
私は、今、地主と話しをつけたあと、これまで6年借りていた畑の掃除をしています。直接貸してくれたのは、奥さん(おばあさん)の方で、「雑草を生やすなら、人に畑を貸した方がいい」との判断のもと、幾軒かに無料で畑を貸してくださっていたのです。
ただ、私の農法は、
1) 畝(うね)を作らない
2) こぼれ種から生えてきた作物を尊重する
と言った具合のもので、周囲の人たちがやっている在来農法とはかなり違ったものでした。これについては以下の過去ログを参照してください。
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20070128
ここで、不測の事態が起こります。貸主の奥さんが大病を患い、それまで畑を見に来ることの稀だった旦那さん(おじいさん)が、私の農法を見て、たまたま作業に来ていた弟に「こんなに汚くするのなら、畑を返してもらうよ」と言ったとのこと、早速私が出かけ、旦那さんと談判しましたが、決裂し、返済期限を決めて旦那さんに返すことになったのです。
私が、植えてあるアフリカン・マリーゴールドを示し、
「これがなんのために植えてあるか、あんた、分かるのか?」
と問うと
「全然分からぬ」
位の反応しか返ってきませんでした。
「これは、数メートル四方の線虫を殺せる植物なんだよ」
これにもたいした反応なし。
「バカか、オマエは?」
という言葉が出かけました。
このバカ旦那から見ると乱雑で汚い植生(フローラ)は、私が6年がかりで作ってきたものであり、野草(雑草)もちゃんと処理していて、他の人たちより目だっているわけではありません。もちろん「フォーナ(動物相)」も違うはずです。現に畑で雉(キジ)を目撃したこともあるのです。なにを持って「美しい」とするかの基準は人によって違うのでしょう。 その意味からすると、このバカ旦那から見て、一番許せなかったのは、恐らく「畝(うね)」=ラインを作らないという私の植え方だと思われます。ところがどっこい、私はラインが大嫌いなのです。決裂して当然なのかも知れません。ラインを作らないことを全然汚いとは思わないのです。
そういえば、このほど亡くなられた私の先生で公害の権威・宇井純さんは、下水処理の一方法として、池の中で一部の水が入れ替わる、そして一度流入した水は、なんらかの形で池に留まるという「酸化溝」という技術を広めようとしていました。通常の方法ではおなじ水が池に留まらないというラインを作ります。宇井純さんのこの辺の発想を学んだ結果が私の農法であり、だれにも引けを取るものではありません。
それにつけてもバカ旦那のヤロウ!!
今日のひと言:もしかして、私はアナーキスト(無政府主義者)なのかも知れません。

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