虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

中国人も侵略する(民族シリーズ  その2)

 *中国人も侵略する(民族シリーズ  その2)
  民族シリーズ  その2
   (4回に渡る「民族」特集。途中2回、インターミッションが入ります。2回目。)
 『・・・私たちの村の住人のひとりは、拷問にかけられ、打たれ、後ろ手に縛られたまま、柱に吊るされた。その下には、煙りをいっぱい出すように仕込んだ火が焚かれた。彼の足の裏は熱で赤く火膨れになり、顔はすっかり真っ黒になった。まもなく、声を出すこともできなくなり、意識を失った。ある人々は、両手の親指だけを縛った状態で吊り下げられた。こうすると、指の肉は圧迫されて引きちぎれた。苦痛に耐えられなくなると、人々はこう叫んだ。
「はい、たしかに隠しました!どこにあるか教えますから、どうか下ろしてください!』
以上の記述は、チベットの住民で、自らも1958年から1985年までの27年間、中国共産党によって強制収用所に収容されていたアデ・タポンツァンの手記「チベット女戦士アデ」(総合法令:1999年)の一節です。
 中国共産党は、初め、友好的な態度を取りました。チベット人の宗教、文化を尊重するかのような。また、学校、病院、家畜の診療所などを作ってあげました。そして道路も・・・有力者のピックアップも忘れません。そして、1951年「中共チベット17ヶ条協定」をチベットの印璽を偽造して発効させます。(ダライ・ラマ自伝より)その上で、中国人は侵攻を始めます。1956年のことです。道路を作っていたことが、軍隊の移動に効果的に作用しました。チベット人と中国人では武器の装備が違います。必死でゲリラ戦を戦う男たち、それを支援する女たち・・・チベット側は破れ、アデも囚われの身となります。もちろん、アデの一族はチベットの名族で、ピックアップされていたわけですね。
 精神的に屈服しないアデは目の敵にされました。生理になっても適切な処置はとってもらえず、流れた経血が衣服を汚し、乾いた血をこすり落とさなければならないほどでした。収容所の中では、調理も禁止され、コンロを持っていたりするだけで処罰されました。収容所はチベット人の心のより所であるラマ教の(破壊された)僧院です。与えられる食事も貧弱で、靴の底の革も食べたほどです。(チャップリン映画・「黄金狂時代」を地で行っていたわけ)そして苛酷な強制(矯正)労働。そして共産主義毛沢東を賛美する教義の押し付け。「チベット人の心のより所」であるラマ教は見事に否定されました。ラマ教の経典をひきちぎって水に浸し、「しっくい」にするという屈辱的な作業を強制されました。かわりに共産主義思想を押付けるのです。チベット語も否定され、中国語を強制されました。また、チベットの森林、資源を中国人はことごとく略奪しました。
 以上の蛮行は、共産主義、中でも文化大革命の悪しき遺産と呼べるでしょうか?私にはそうは思えません。中国人が異民族の国であるチベットを叩きのめすためには、イデオロギーは必要ではありません。ただ異民族であるということが必要充分条件なのだと思います。
 それは、日本人が朝鮮人の文化・伝統を否定し、創氏改名とか神社建設とかを強制したのと同じ文脈で語れます。だから、日本人が胸を張れたものでないのは事実ですが、中国人も、日本人を批判する前に、自分のやってきたことをよく反省したらどうか、と思います。いわゆる「歴史認識」というやつですね。日本もチベットでの事実をあげつらい、中国を黙らせればいいのです。昔の日本外交官は、アメリカに対し、一歩も引かない態度で臨んだものですが。(満州侵攻の非を言ってくるアメリカに対し、「パナマ運河」を無理やり建設したアメリカに皮肉を言って黙らせるなどという芸当が出来たのです。)なお、中国はダライ・ラマ法王が訪日することでさえ、「国内問題に介入するな」と難癖をつけてくるお国柄だから、言っても無駄かもしれませんがね。チベット自治区」とは笑止です。


今日のひと言:アデは現在亡命して、インドのダラムサラで、ダライ・ラマ法王の近くに住んでいるそうです。なお、週刊新潮06.11.02号によると、中国は今現在でもチベットの民間人、僧侶に対し虐殺行為を続けています。そして、チベット侵略で名を上げたのが、胡錦濤・現中国国家主席なのです。