虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

SNSの落とし穴・・・「閉鎖社会」の問題点

 MIXI(ミクシイ)をはじめとするSNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)ブームです。いまやMIXIをやっている人は700万人を超えるでしょう。でも、「既存の会員による紹介がなければ会員になれない」という設定には、正直違和感を覚えます。
 私はかつて環境問題を専攻していて、直近の話題だった「足尾鉱毒問題」のシンポジウムに参加したことがあります。In栃木県。その席で、足尾鉱毒問題とか田中正造とかには初心者であろう人が、初歩的でプリミティヴな質問をしました。その時、壇上にあった足尾鉱毒問題研究者は、「いまさら、なんていう(当たり前な)質問をするんだ」と言って質問者を黙らせました。その時の雰囲気は、今でも鮮明に覚えています。真夏だったのに凍りつくようでした。
 ここで注意したいのは、あの質疑応答の場では、「足尾鉱毒」問題をいかに世間に知らしめるかが勝負所なのに、この一喝した論者は、そのチャンスをみすみす逃している点です。これまで彼が情報を集積してきた当問題については、誰でも知っているのが当然、知らない者は論外だという意識が見てとれます。本人は純粋に問題を考えているのかも知れませんが、環境保護運動という意味では、この論者は失格です。問題を知らない人に、「ああ、そうなのか。」と納得させてから初めて、足尾鉱毒問題も世の中に知らしめられるのです。論者は、質問者を「異質者」とみなし、排除したわけです。じゃあ、その足尾鉱毒問題の会は、「な・か・よ・し 集団」だったのでしょうか?
 さて、SNSの最大の利点である「お友達が増やせる」という特徴には、どこか上述の話題と重なる点があるな、というのが私の見解です。私はSNSはやったことがありませんから、通常のブログでアナロジカルに考えてみます。ここにとても有名なブログがあります。田舎暮らしをしている主催者の日常生活を、イラストを効果的に使い、クリアーに綴った優れものブログです。「農家の嫁の事件簿」(http://kamatsuta.way-nifty.com/blog/)。私もこのブログにコメントを書きますが、他のコメンテイターはどんな人たちか、と見て見ると、ブログを持たない、つまり情報発信者でないひとが半数、ブログは持っていても、この有名ブログとおなじテイストのブログをやっているひとが半分です。大体「同質」なひとたちである、と考えられます。まあ、例外的な人も当然いますが。日常身辺記というところで、「感じる」ことを共有することが眼目ですね。でもそれだけではなんら発展性がありません。「異質」なものにも目を向けなければならないでしょう。さて、このブログのコメンテイターの人たちは、彼らにとって「異質」なブログも読むのでしょうか?そうでなければ、私の言うSNSの落とし穴に落ち込むことになるでしょう。
 一方、教育関係者(高校教師)のブログで、私自身とても面白いと思われるブログがあります。「考えるのが好きだった」(http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/)。
よくものを「考える」というタイプのブログで、高校教育の現場にいる実践者の視点から、いろいろな問題を真剣に考えていて、このブログには近親感を覚えます。僭越ながら、 私と「同質」なのです。だからこのブログにはよくコメントを書きますが、ほかのコメンテイターもやはりものを考えるひとである場合が多いです。同質ですね。類は友を呼ぶ、といったところでしょうか。
 さて、ここで重要なのは、ここで挙げた2つのブログ、両方とも私がコメントを書き続けているという点です。「同質」「異質」に拘わりなく付き合うという姿勢が重要なのだと思います。「異質なものを排除し、同質なものとだけ付き合う」というのは、実は危険なことなのだと思うのです。
 だから、私がSNSをやるひとにアドバイスしたいのは、「異質なものとも付き合うのがよい」ということです。私の体験上から言っても、「同質」の友人100名より「異質」の友人1名が勝ることもあると思います。



今日のひと言:なーーんて言いつつ、誰か私にMIXIへの招待状をくれませんかねえ。それから、携帯電話の分野にもSNSを拡張しよう、という企業(グリー:greeなど)がありますが、私は危険だと思います。現在のケータイユーザーのなかにはたんなるおしゃべり(チャット)としてケータイを使っている人が多いと推測されますが、そのままでは、SNSが単なる「痴呆者の集団」になる確率が50%を超えると思われるのです。そもそもケータイはコンピュータに較べ操作がずっと面倒で、当然あまり情報量を乗せられません。すると、短いセンテンスでやり取りすることになり、「思い込み」で相互理解したとするようなケースが増えると思うのです。勢い、論理ではなく情緒で理解することになるでしょう。こうなるのが危険です。それはファシズムへの道でもあることを、肝に銘じるべきでしょう。
 また、今回挙げた2つのブログは、なんだかんだ言ってもどちらも水準以上の内容だと思います。「コンピュータが操作できるんだなあ、そりゃ良かったね。」とでも声を掛けたいような・掛けたくもないような中身のないブログは実際多いです。このようなブロガーには「なんのためにブログをやっているのか」自問してもらいたいものです。これって、私にとっては「い・し・つ・・・ 異質?」


  
 **足尾鉱毒問題(事件)
 明治時代、足尾銅山の操業が元になり発生した一連の騒動を言う。足尾銅山群馬県と栃木県の境界、栃木側にある鉱山で、江戸時代前期に発見されていたが、本格的な操業は古河市兵衛が近代的な施設を整備した明治時代に入ってからである。公害は2つの側面があった。ひとつは亜硫酸ガスによる大気汚染および付近の森林の全滅。もうひとつはスラグ(残滓)が下流に流れ出し、有害な銅によって水田が不毛になる現象。この被害は渡良瀬川流域・群馬、栃木、埼玉の一部に及んだ。1890年、この問題が明らかになると、同年衆議院議員になった田中正造(栃木県選出)が国会で取り上げた。1900年、東京に陳情に行こうとしていた農民が官憲と衝突する事件(川俣事件)が起こる。国会での鉱毒問題の事態収拾に見切りをつけた田中正造は1901年、議員を辞職する。同年、明治天皇に直訴する。1905年、鉱毒の問題を隠蔽する意図で栃木県谷中村を廃村にして広大な遊水地にするという計画に対し、農民と田中正造は反対するが、農民は北海道に入植するという幕引きで、足尾鉱毒問題は一応の解決を見るに至る。田中正造は、巨大な国家権力の前に苦杯を飲んだという形に終わる。


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