虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

川合玉堂:私にとっては忘れられない名を持つ日本画家

私の青春時代、そう20代早々、お互いに「恋人」と認識しあいつつあった女性と、詩人である山尾三省さんを囲む一団で、東京都青梅市御嶽山にハイキングに行ったことがあります。そのとき注目した施設に2つあり、一つは清酒澤乃井(さわのい)の小澤醸造所、もう一つが川合玉堂美術館でした。ただ、気に留めただけで、見学には行きませんでしたが。東京にいる間は、澤乃井を愛飲していました。


参考過去ログ  http://d.hatena.ne.jp/iirei/20140514#1399996755

      :ある恋の一生〜魔の時間のずれ(散文詩



以後も、なんとなくこの画家のことを思い出しては忘れ、忘れては思い出すなどして(甘くて辛い失恋のことを想うので)、ほんとのところ、どんな画家だったか見たくなり、図書館から画集を借りてきて、紐解きました。・・・なかなかハイレベルな画家でした。玉堂についてwikiを見てみると、


川合 玉堂(かわい ぎょくどう、本名:川合 芳三郎(かわい よしさぶろう)、1873年明治6年)11月24日 - 1957年(昭和32年)6月30日)は、日本の明治期から昭和期にかけて活躍した日本画家。


1873年明治6年)、愛知県葉栗郡外割田村(現在の一宮市木曽川町)に、筆墨紙商の長男として生まれる。12歳頃より絵に親しみ、京都にてはじめ望月玉泉門下、後に幸野楳嶺門下で円山・四条派を学ぶ。「玉堂」と号するのは1890年(明治23年)、17歳のとき。この際「春渓群猿図」「秋渓群鹿図」は第3回内国勧業博覧会に入選している。


1896年(明治29年)、23歳のとき上京し橋本雅邦に師事する。岡倉天心、雅邦、横山大観らの創立した日本美術院(1898年)には当初より参加。1900年(明治33年)頃からは私塾「長流画塾」を主宰、1907年(明治40年)には第1回文部省美術展覧会(文展)審査員に任命され、また1915年(大正4年)からは東京美術学校日本画科教授、1917年(大正6年)6月11日帝室技芸員に任じられ日本画壇の中心的存在の一人となる。1931年(昭和6年)にフランス政府からレジオンドヌール勲章、1933年(昭和8年)にはドイツ政府から赤十字第一等名誉章を贈られ、1940年(昭和15年)には文化勲章を受章した。


第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に、かねてより頻繁に写生に訪れていた東京都西多摩郡三田村御岳(現・青梅市)に疎開、住居を「偶庵」、画室を「随軒」と称した。第二次世界大戦後にも、同地の自然を愛する玉堂はそのまま定住、同地で1957年(昭和32年)没した。現在、同地には玉堂美術館がある。

私が今回借りてきた本は、「現代の水墨画6 川合玉堂川端龍子」(講談社)ですが、その中から3つの絵を取り上げます。


松上老猿(1944?)



松の上に佇む老いた猿。ちらちらこちらを見ています。その目と顔が幾分か黄色い着色がなされています。写真としてはアングルがそうとう偏っていて、自然の松が90度回転して傾いている感じ。アンバランスだがこんな風景もあるかな、と思われます。


吹雪(1950)



あまりの猛吹雪に、屋根の上に積もった雪も飛ばされています。人間の行為を一切禁じる死の世界。そのなかでは、一人の村人が馬を連れて(おそらく厩舎に連れて行こうとしているのでしょう)、この人物が家にはいれば、この猛吹雪は更に荒れ狂うでしょう。


寒山拾得(1955)



寒山(かんざん)と拾得(じっとく)は、禅宗におけるトリックスターのような存在で、とても教養が高く、悟りの境地にいるにも関わらず、寺男として掃除などの雑用をこなす係りをやっています。彼らの正体が見抜ける人は、悟りの境地に近いことになりますね。特に寒山は詩を得意とします(寒山詩)。解説によると、普通この二人は屏風などでは離れて描かれるのですが、この絵のように一緒にいるというのは例外的だそうです。



今日のひと言:水墨画といえば、単一に「黒」の墨だけ使うものかと思っていましたが、一部彩色することもあることを知りました。新発見ですね。できれば彼女と玉堂美術館でデートしたかったな、とも思います。そうすれば、今の私とはまったく違う私も存在したことでしょう。



筆ペンからはじめる水墨画

筆ペンからはじめる水墨画

はじめての水墨画 (NHK趣味悠々)

はじめての水墨画 (NHK趣味悠々)




今日の一品


アルファルファモヤシのオイスターソース掛け



最近良く買ってくるアルファルファもやしに、オイスターソースを掛けた一品。味はまずまず。さすがに水が出てきて、味が薄まりますので、作ったその日に食べるのが良いでしょう。

 (2016.08.12)



@カラスガレイの煮つけ



弟作。我が家の定番。醤油、砂糖、(とうきび糖)、スライス生姜で煮ます。身が崩れるので、鍋から皿への移動は慎重に。

 (2016.08.12)



スベリヒユの辛子和え




スベリヒユ科の野草。全草に粘りがあり、お浸しにして美味しいです。ただ2つの留意点があり、一つは野生のものには、農薬が掛けられているオソレがあること。そこで私は自宅のプランターに生えたこの草を食べます。もう一つは、酸味・・・シュウ酸を多く含むことで、塩を入れたお湯で茹でて、半日は水に晒します。その後、シュウ酸をマスクするためカツオ節を混ぜます。そして今回は和ガラシ、塩で味付けしました。

 (2016.08.13)



@キュウリのカレー粉和え



弟作。エバラ浅漬けの素、醤油、カレー粉で漬けました。しょうしょう砂糖も入れたほうが良かったかも。

 (2016.08.14)





今日の詩


モンテカルロ法


「北関東の歌舞伎町」を通っていると
なにやら白いものが散乱していた
何かと見るやそれは
タバコの白いたくさんの吸殻。


それは一瞬に見る限り美しいとも
思えたが、
マナーの悪さに思いを
致すと醜い。


私はこの光景をみて
確率の理論―モンテカルロ法を思い出した
マッチ棒を投げて円周率を求める
奇抜な理論、3.14位は算出できる。



「北関東の歌舞伎町」=太田市南一番街にある風俗店の群れ。

 (2016.08.13)




訃報と哀悼


ここ2年くらいの付き合いだったブロガー:id:mikutyan さんが8月12日に亡くなられました。彼女は現代の親鸞といった感じの方で、最愛の娘、郁代さんが不治の病に冒されて、世界の友人の方々に会いに行く旅をフォローされ、郁代さんが亡くなったあとも、この娘さんのことを一刻も忘れずにブログを書き続けました。これはもちろん煩悩でしょうが、mikutyan さんは「煩悩こそ、私の力の源なのです」と言って憚らない方でした。この立場を縦糸として、金子みすゞさん、星野富弘さん、まど・みちおさんらの素晴らしい詩人たちの言葉を玩味し、保育園の子供たちの、とっても面白い会話を掬い取り、はたまた浄土真宗の教義を語ってみたり。と多様な活動をなさっていたのです。ご冥福をお祈りします。合掌。

 (2016.08.17)