森田療法の驚異:「あるがまま」の実践
私の職場の同僚で、精神的に不安定な人が多い中、極めて安定している人がいて、その様子に感じるものがありましたので、お話をしたところ、彼には波乱の過去があり、なんでも大学生のころ、付き合いでやっていた麻雀の最中に、牌がどうしても切れなくなり、それを皮切りに映画館恐怖、加害恐怖など、神経症的な諸症状を次々に抱え、大学中退の憂き目を見られたそうです。その彼が実践して、以上の諸症状を解消したのが「森田療法」を行う「生活の発見会」に参加するようになってからだ、と聞きました。その森田療法の概略をwikipediaから拾ってきますと
森田療法(もりたりょうほう)とは、1919年(大正8年)に森田正馬により創始された(森田)神経質に対する精神療法。(森田)神経質は神経衰弱、神経症、不安障害と重なる部分が大きい。また近年はうつ病などの疾患に対して適用されることもある。
なお森田正馬は薬を使わなかったが、現代では薬を併用することが多い。さらに元来入院が基本だったが、最近では通院が中心になりつつある。そのため重度や長期の人は入院、軽度で短期の人は通院が基本になっている。
またそれ以外に自助グループ「生活の発見会」や会員制掲示板「体験フォーラム」などの利用方法もある。日本国内だけでなく、海外でも中国を中心に活動が展開されている。
(中略)
森田療法では「あるがまま」という言葉が使われることが多い。
森田正馬はその著書で『治療の主眼については、言語では、いろいろと言い現わし方もあるけれども、詮じつめれば「あるがままでよい、あるがままよりほかに仕方がない、あるがままでなければならない」とかいうことになる。』と述べている。また同じ著書では『ことさらに、そのままになろうとか、心頭滅却しようとかすれば、それはすでにそのままでもなく、心頭滅却でもない。』『当然とも、不当然とも、また思い捨てるとも、捨てぬとも、何とも思わないからである。そのままである。あるがままである。』とも述べている。
森田正馬(もりた まさたけ、通称:しょうま:1874−1938)さんです。
最後の喩え「心頭滅却」を意識すればするほど、大きくその境地から外れてしまう、という主張は、解りやすいですね。赤面恐怖症に罹り、人前に立つという行動におびえ、赤面が悪循環で悪くなる人の場合、赤面するということを否定的に捉えず、「あるがまま」に身を委ねるという考え方ですね。赤面するのがありのまま、そのことを前提として、対人関係を構築する・・・この論理は他の神経症にも原理的に適用できるものだと思います。
ですが、このままなるほど、と頷いてばかりなのもなんですから、私はこれに私なりの敷衍をしたいと思います。2点ほど。
1)「あるがまま(の自分)」を言い換えて「とらわれない(こころ)」などはどうでしょうか。あるいは「無我」というあたり。いずれの表現も、エゴが知らぬ間に消滅して、それまでずっと病気だと思っていた彼・彼女の目の前が、パッと明るくなることを示す表現のように思います。ただ、(同僚の)彼の意見を聞いてみると、ちょっと私の誤解ないし経験不足があったようで、「とらわれる(こころ)」が厳然とした前提であり、そこからもしかしたら運よく「とらわれのないこころ」につながることもあるかも知れない、というあたりに落ち着くようです。
私のブログ友である某女性は、愛娘を病気で亡くし、ことある毎にその娘さんのことを悲しんでいます。非生産的との謗りを免れませんが、「この(娘に執着する)煩悩こそが私の生き甲斐です」と言っておられます。そして彼女は親鸞を旨としている信心篤き人です。重い荷物を担いで苦しいとき、その重荷を放棄してしまうのでなく、次第次第にその重荷を軽くしていく行為・・・これが「あるがまま」なのかも。「心頭滅却」のお話も、もともとは「火は熱い」という当たり前なことを前提とすべき、だと(同僚の)彼は言うのです。さすがに、体験者の言葉は重いです。
2)また、「あるがままの自分」という表現は、なにやら老子の「自然」というのにも似ています。老子の場合、イギリス人のアーサー・ウェィリーという優れた英訳を行った学者がおり、日本の漢学者も引用するほどの英訳です。ここに「自然」を彼がどう訳したかというと(中公文庫・小川環樹:25章訳注にありますが)
The self –so
これをもう少し長く書くと
The what –is so –of –itself
日本語にすると「それ自身でそうであるもの」。
ここには、外部のことに気を使いすぎて、身も心もすり減らすという陥穽はありません。外見には目を奪われずに自分の本分を実現していけばいいのですね。・・・ただ、ここの私による記述について言えば、これまで説いてきた「あるがままの自分」とは、整合性に欠ける部分があります。でも、どこかで繋がっているのでこの老子の言葉「自然」が浮かんだのだと思います。現在はまだはっきりと論理的には言い切れないですが。
例になるかは解りませんが、マジシャンのマギー司郎さんの逸話で、ヘタクソなマジシャンでさっぱり売れなかった頃、「ダメな自分を見つめる:“自分の自然を見つめる”」という思索をやっていたそうです。彼はこの不遇期を、「あるがまま」受け入れ、開花したのだと思います。この逸話はNHK「課外授業ようこそ先輩」で出てきました。
今日のひと言:今回ブログは、wikipediaのほかに「森田療法がわかる本 ありのままの自分を受け入れる」(長谷川和夫:グラフ社)を参考にしました。なかでも、「どんなに辛くても、外形を整え、問題となっている場所とか集りなどにも積極的に参加する:112Pの大意」、というような主張に一際大きな意外性を見ました。さすが森田療法、東洋思想と相性が良いらしく、実際禅宗の教えと似た部分があるようです。(ならば禅宗の祖の一つである老荘思想も当然)
著者の長谷川和夫さんは精神科医、1972年に長谷川式認知症スケールを発案、また認知症の呼び名を広めた方だそうです。
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今日の一品
@豪華版ゴーヤチャンプルー
弟作。以前も取り上げましたが、もうすこし豪華にして、ゴーヤ、豆腐、クコの実、キリイカ、醤油、胡椒少々で仕上げました。
(2016.06.24)
@ラップ包みトウモロコシ
id:whitewitch さんがせんだって書かれていた、トウモロコシの簡単・美味しい調理法。皮をつけたままでラップで包み、レンジでチン。私は500wで3分半加熱しました。美味。なお、続報によれば皮を濡らしただけでレンジに掛ける方法もある由。
(2016.06.25)
@パクチー・スパゲティ
S&Bが出している、パクチーの風味をチューブに詰め込んだ「クリーミーパクチーソース」をスパゲティのソースにしました。食塩もしょうしょう足して、美味しい。
(2016.06.26)
@お茶漬・オリーブオイルのサラダ
id:o-uiri さんに教えてもらった一品。永谷園の「お茶漬の素」と「オリーブオイル」とともに生野菜にかけました。ちょっとオイルが多すぎたかな。
(2016.06.26)
今日の詩(2編)
夕刻、水を張った水田ぞいを歩いていたら
まるで雨が降る時のようにポツポツと水面が沸き立つ
何かと思って近づくと
それはホウネンエビの仕業だった
別の水田を見ると、
ゲンゴロウがポツポツやっていた
遠くを見ればカモが群れなし水田を見つめている
――自然の厳しさを見た思い。
(2016.06・27)
@大王松(だいおうまつ・だいおうしょう)
巨大な松ぼっくり
普通の松の3倍の
高さはある
この威厳
魔を払うか
大王松
松ぼっくりを頂きました。その巨大さに脱帽しました。
(2016.06.28)