虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

MUSICの語源と色々な芸術〜気まぐれなミューズ

口上:ここ2、3日、PCが不調で、ネット上に出られませんでした。その間訪ねてくれた方、またブログ友の方には応答が出来ず失礼しました。



英語で言うmusicはもちろん「音楽」のことですが、どうもこの呼称はギリシャ神話のミューズ(muse)・・・芸術の守り神の9人の女神を想起するのですね。そこでいくらか調べたところ、次のような記述にたどり着きました。

音楽
芸術と言えば音楽を思いつくという人も少なくないだろう。ミュージック(music)は日本人にとって大変なじみ深い言葉となっているが、その語源はギリシア神話のミューズ(ムーサ) に遡る。すなわち、「ミューズの恩寵にあずかる人間の営み」(音楽、詩作など)を意味するギリシア語ムーシケー(mousike)がその語源である。


一方、「博物館」を意味する museum も、「ミューズの神殿」を意味するギリシア語ムーセイオン(mouseion)からできた語である。また、英語で art museum といえば「美術館」のことをさすが、この表現も当然ミューズと間連している。つまり、日本語の「音楽」(music)、「博物館」(museum)、「美術館」(art museum)という三つの言葉は、いずれも対応する英語の表現で比較した場合、共通の語源を持つことが明らかである 。


話を音楽に戻すと、例えば、文学、数学、音楽と並べたとき、なぜ音楽という漢字にのみ「楽」という字がついているのだろうか。漢和辞典を引くとその謎は解ける。実は、「楽」という字は元来、道具としての楽器 を意味したのである。やがてそれを用いた音楽そのものを意味し、転じて「楽しい」の意味を表すようになった 。


実際、日本の生んだ「カラオケ 文化」の世界的普及は、音楽と人間の喜びとの根元的つながりを雄弁に物語る。「カラオケ」は英語で karaoke と表記されるが、日本語で「空っぽ」を意味する「カラ」とギリシア語に由来する「オーケストラ(orchestra)」――ギリシア悲劇の上演に際し「舞踏団の踊る場所」を意味した――から出来た語である。このことを日本人に説明するのはそう難しいことではないが、欧米人はどうだろうか。orchestra が綴り字の上でoke に変化した経緯も含め、きっと誰もが目をぱちくりさせるに違いない。

http://www.kitashirakawa.jp/taro/eigo35.html  

 :ことばの歴史をたずねる旅


ちなみに、薬用せっけん「ミューズ」との類似性は見られませんでした。


以上の記述で、私の好奇心は満足しましたが、もう少し連想を続けますと、「芸術」はかならずしも「生活上の規範に」従いません。いつか拙ブログで取り上げた手塚治虫さんの「ばるぼら」では、ミューズの末娘がいわゆるフーテン(いまでいうホームレス)の姿で主人公の作家の前に登場し、彼の芸術創作に力を与えます。・・・でも一方で、「ばるぼら」は魔女でもあったのです。この矛盾に満ちた守護神を持つのが芸術なのです。

参考過去ログ
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20110709#1310207939
   : 「ばるぼら」(手塚治虫)・・・狂気としての芸術


このような事実は、ニーチェが「アポロン的なものディオニュソス的なもの」という比喩で見事に説明しています。「アポロン的なもの」とは、陽性、正義、力強さ、健康などを意味し、「ディオニュソス的なもの」とは陰性、不義、弱弱しさ、不健康などを意味するのですね。たしかに、アポロンという太陽神には、「翳りがなく、公明正大な」神々の模範生ですが(ゼウスが選んだ相手は由緒ある女神でした)、ディオニュソスは、「ブドウとそれを使って醸されるワイン」の神で、「泥酔するほど酒を飲むと、あらぬ恥をかくものですが、それを望む陰湿な」神で、やはりゼウスが父親ですが、相手の女性は一般の人間に過ぎませんでした。


代表的な2大芸術、音楽と絵画を比較しますと、どちらかといえば音楽のジャンルは、アポロン的な作品、また作曲家が多いように思えます。酒に溺れながら作曲したという例はあまり聞きません。(もしかして、「幻想交響曲」を作曲したベルリオーズなどがその少ない例のように思えます。)一方、画家の場合、アルコール中毒だったユトリロをはじめ、あんがいディオニュソス的な人が多いように思います。つまりは五線紙の前では飲酒はしないように思えますが、キャンバスの前で一杯やる、という乗りの画家は多いのではないかと。


・・・にもかかわらず、ミューズはどちらの芸術にも(ベクトルは反対としても)力を貸すのでしょう。



今日のひと言:他の芸術、建築などは、はっきり「アポロン的」な建築物が要求されますね。詩の場合、フランスのヴァレリーなどは「詩の音楽化」をマジに考えていたらしいですが、このジャンルも、ディオニュソスタイプの詩作品は多いようです。シャルル・ボードレールアルチュール・ランボーなどが陰性の詩を多数残しています・・・てか、生活自体がディオニュソス的なのでした。



ばるぼら (手塚治虫文庫全集)

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フランスとっておき芸術と出会う場所―創造性と愛を与えたミューズたち

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酒の神ディオニュソス―放浪・秘儀・陶酔 (講談社学術文庫)

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シヴァとディオニュソス 自然とエロスの宗教 (芸術人類学叢書)

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今日の料理


ヒヨコマメとゼンマイの炒め煮






弟が「ヒヨコマメひよこ豆」を買ってきたので作ってみました。参考にしたのは

http://cookpad.com/recipe/2922378  です。


ほぼこのレシピに準拠しましたが、入れる調味料を、オリーブオイル(ごま油がなかった)、醤油、昆布だし、トウキビ糖にし、味醂とか日本酒は使いませんでした。この豆、味がまるで栗のようで、ちょっと驚きました。この豆、ガルバンゾーとも言い、マメ亜科なのだそうです。豆とちょっと違うのですね。(wikiの記述より)

 (2015.08.07)




ゴーヤチャンプルー





弟作。お馴染みの、沖縄野菜・ゴーヤ(ニガウリ)。我が家でも、夏季に良く食べます。通常ゴーヤ、豆腐、クコの実を使いますが、今回は卵も入れたとのこと。実は、私はもっとも早くゴーヤを食べた日本の本州人(ヤマトンチュー)の一人だったと思います。沖縄出身(ウチナンチュー)の自主講座での同僚からもらったのです。正直、その時は、苦いだけだなあ、という感想を持ちましたが、今では抵抗なく食べられます。(ウチナンチューとヤマトンチューはお互い解りあえないものがあると考えます。)

 (2015.08.08)




クサギのショウガ炒め






雑木・クサギは繁殖力が強く、ほおっておくと、無制限に茂ってしまいます。私はそれを知らず、庭に導入したところ、はびこって困っています。伐採がてら葉を収穫すると、後から後から成長してしまいます。まあ、苦い味はなかなかの風味がありますが。

http://d.hatena.ne.jp/iirei/20130524#1369369540  参照。

 (2015.08.09)