虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

富岡製糸場と群馬県の「絹」産業


(このブログは、たまたま作成したものですが、折から、富岡製糸場とその関連施設がユネスコ世界遺産にほぼ決まったようなので、ここに「便乗」してエントリーします。)


図書館から、視聴覚教材「日本の近代化遺産  第1巻 絹から始まった産業革命 北関東の近代化遺産」(紀伊國屋書店)を借りてきて、1時間ばかりのこのDVDを楽しく観ました。この事例は大変興味深いので、1ブログを立ててみました。まずは「富岡製糸場」について、概要をwikipediaから。(富岡市は、群馬県南西部にあります。)


明治政府は、フランス・リヨンの商社、エシュト・リリアンタール商会の横浜駐在員であり、お雇い外国人のフランス人技師ポール・ブリューナ(Paul Brunat)の指導でフランスから繰糸機や蒸気機関等を輸入し、養蚕業の盛んな富岡に日本初の機械製糸工場を設置した。日本側の責任者となって資材の調達や建設工事の総指揮をとったのは、のちに初代所長になる尾高惇忠であった。


明治5年10月4日(1872年11月4日)に官営模範工場の一つとして操業を開始した。ただし、当時大蔵民部省官吏として建設に尽力した渋沢栄一は、後年自己批判も込めて「富岡の製糸は官による経営で採算性を無視できたから成功した側面もあり、日本の製糸の近代化に真に貢献したのは、富岡に刺激されて近代化を志した民間の人々である」と書き記している。当初は民部省が設置し、大蔵省、内務省農商務省と所管が移った。当時は世界でも有数の規模であり、和田英ら数百人の女工が日本全国から集められた。女工の労働環境は充実しており、六工社など後に日本全国に建設された製糸工場に繰糸の方法を伝授する役割も果たした。明治8年に日本人による操業が始まったが、大規模すぎたため十分に機能を発揮できずにいた。


官営工業の払い下げ令により、明治26年1893年)に三井家へ払い下げられた。この間、日本で初めての洋式機械製糸場を前橋に作った速水堅曹が内務省に移り、2度、所長に就任、民営化されるまで操業を支えた。明治35年(1902年)には横浜の生糸商原合名会社(原富太郎)に渡り、昭和14年(1939年)、片倉製糸紡績会社(片倉工業)の所有となると昭和62年(1987年)3月5日まで約115年間操業を続けた。

約1万5千坪の敷地内に開設当時の東・西繭倉庫(12メートル×104メートル)、繰糸場(12.3メートル×140メートル)、事務所、外人宿舎など煉瓦建造物がそのままの形で残っており、重要な近代化遺産である。


平成17年(2005年)7月14日付で「旧富岡製糸場」として国の史跡に指定され、平成18年(2006年)7月5日には明治8年(1875年)以前の建造物が国の重要文化財に指定された。なお、全ての建造物は平成17年(2005年)9月30日付けで地元富岡市に寄贈され、翌日からは市が管理(富岡製糸場課)を行っている。ボランティアガイドがおり、予約しておくと詳しく説明が受けられる。


現在、群馬県富岡市を中心に富岡製糸場とそれに関連する絹業文化遺産を、世界遺産に登録する取り組みが進められている。平成19年(2007年)1月30日には「富岡製糸場と絹産業遺産群」(The Tomioka Silk Mill and Related Industrial Heritage)として、日本の世界遺産暫定リストに加えられた。平成24年(2012年)7月12日、文化庁文化審議会世界文化遺産特別委員会において、「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産へ推薦することを了承した。


富岡製糸場は、日本の国策企業として1872年(明治5年!)という極めて早い時期に開設されています。殖産興業富国強兵には欠かせない施設だったのですね。そして大きな規模の工場で女工を大量に雇い、輸出用の絹を量産したのでした。それは日本が日清戦争日露戦争を勝ち抜くためのドル箱としても機能したのです。


 DVDで興味深かった点を幾つか挙げます。


@日本の鉄道の中心的位置をしめた信越線・・・政府は、日本に鉄道を敷設するにつき、もちろん重要な路線から行います。その一つは「東海道線」、また一つが日本海側に延びる
直江津舞鶴」までの路線、そしてこの2つの路線を貫くのが内陸で「直江津〜高崎〜東京」へとつながるルートです。この路線・・・ほぼ信越線は、平成の世になって長野新幹線にその地位を明け渡すまで、基幹路線でした。横川駅には「峠の釜めし」(荻野屋)という名物駅弁がありましたね。


@また、信越線の横川〜軽井沢間の碓氷峠は高低差が激しく、通常の列車では乗り切れなかったのですが、いわゆる「アプト式」という予備の車輪を歯車にして、ゆっくり登坂する技術をもってして解決したというのです。(このあたりの話は「鉄道ファン」の人には周知のことでしょう。)


@ちょっと場所がずれますが、やはり両毛線を介して富岡製糸場とつながる桐生市も、絹の町です。この町で有名なのは、「ノコギリ屋根」の建物です。いまでも桐生市内にはこんな建物が多く残っていますが、本来、この建物は絹織物を作る施設です。そして、ノコギリの短いスパンの屋根はガラス張りになっていて、北からの柔らかく、時間によって強さが変わらない光線を作業用に使っていたというのですね。だから、建物をみれば方位がわかるということです。




http://tabijin.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_7a21.html

ノコギリ屋根



今日のひと言:桐生市のノコギリ型の屋根のある工場跡地、案外おしゃれなので、整髪業者が入って営業している例もあるそうです。面白い建物は、ムゲに潰さないのが良いようです。なお、伊勢崎市も「銘仙」という織物で有名ですね。



富岡製糸場と絹産業遺産群 (ベスト新書)

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あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史 (角川文庫)

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今日の料理


シイラの煮つけ







wikiでは「シイラ(鱪、鱰〈魚偏に暑または署〉)、学名 Coryphaena hippurus は、スズキ目シイラ科に分類される魚の一種。全世界の暖かい海に分布する表層性の大型肉食魚で、食用に漁獲される。釣りの対象としても人気が高い。
分類上は同属のエビスシイラ Coryphaena equiselis と共に、1属2種のみでシイラ科 Coryphaenidae に分類されている。」・・・とされます。釣り上げられた写真もwikiから。


この美味な魚を、今回は煮つけにしました。

 (2014.06.08)



オカヒジキの炒めもの






山形名産の野菜・オカヒジキ。普通はお浸しにしますが、今回は油を大目に入れた炒めものにしました。地元の天ぷら屋さんが、これを天ぷらにしていて、口の中で崩れる食感が面白かったので、わが家では天ぷらほどには油を使わずに作りました。ただこのオカヒジキ、シュウ酸を含むので、しあげにそれをマスクできるカツオ節を加えました。

 (2014.06.08)




@ヒバの煮もの






ここで言うヒバ干葉)というのは、大体大根の葉を指すようですが、JAで目にしたのは「小松菜」の干物。戻してクコ・油揚げなどと煮ました。生の小松菜より美味しい感じです。1パック150円。

 (2014.06.10)




今日の悶々

6月15日、サッカーワールドカップで、日本VSコートジボワールの一戦が行われ、2:1で日本が敗れました。この戦いにおける日本国民の一喜一憂は、特筆すべきものでした。たしかにサッカーという競技にはそれほどの魅力があるのでしょうが、この熱狂の何分の一かあれば、原発も止められるでしょうに。首相官邸前反原発デモに加わる人と、このサッカーに熱狂する人の重なり具合はどんなものかは解りません。いみじくも現首相の安倍晋三の祖父の岸信介が安保条約を改定し「みろ、国民は後楽園球場の巨人戦に熱狂しているではないか」と嘯いたのは有名な事実ですが、状況は今も昔も変っていないようです。NHKのニュース7でも、30分の放送時間のうち、18分はサッカー関係のニュースでした。

 (2014.06.15)