虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

アンソール:仮面と髑髏(どくろ)の間で


仮面に囲まれた自画像(1899)→


ジェームズ・アンソール(James Ensor, 1860年4月13日―1949年11月19日)は、19世紀〜20世紀のベルギーの画家です。

オステンドのアンソールの両親の家は、観光客相手の土産物店を営んでおり、貝殻、民芸品、カーニバルの仮面などを商っていた。カーニバルの仮面が、後に画家としてのアンソールの重要なモチーフとなったことはよく知られる。アンソールの父はイギリス系の人物で、数カ国語をあやつる教養人であったといわれるが、仕事らしい仕事はしておらず、土産物店はもっぱらアンソールの母が切り盛りしていた。


長い生涯を独身で通したアンソールは、当時の美術の中心地であったパリとも無縁で、オステンドの両親の家の屋根裏部屋をアトリエとして孤独な制作を続けていた。その画風は19世紀〜20世紀の多くの画家たちのなかでも他に類のない個性的なもので、特定の流派に分類することはむずかしいが、パウル・クレーエミール・ノルデなど多くの著名な画家に影響を与え、また20世紀の主要な美術運動であった表現主義シュルレアリスムにも影響を与えていることから、20世紀美術の先駆者として高く評価されている。また、油彩だけでなく、版画作品にも優れたものが多い。

Wikipediaより


彼は、仮面と髑髏(どくろ)を主なモチーフにして絵を制作した人です。顔を覆えば「仮面」になり、顔を一皮剥けば「髑髏」になりますが、アンソールはこの表裏一体のモチーフを絵画にしたのでしょう。
首吊り人の死体を奪い合う骸骨仮面(1891)↓



 以上2つの絵は「ジェームズ・アンソール 仮面の幻視者」:末永照和:小沢書店より



また、この絵↓は「危険なコック」(1890)と言う作品で、レストランの厨房(厨房:台所)で展開されているトンデモな光景で、観るものを楽しませてくれます。この絵はまさしくシュルレアリスムの先駆けとなっていると思います。



今日のひと言:私は小学生のころから辞典とか事典を読むのが好きで、おりから、「日本メール・オーダー」という会社が「週刊アルファ」という百科事典を週刊ごとに配本していて、溜まったところで特製バインダーを買い、一冊の立派な百科事典にするのが好きでした。アンソールについても取上げられていて、そこに掲載されていたのが「危険なコック」でした。三つ子の魂百まで、この絵はずっと忘れずにいたのです。この絵を知らなかったら、今回のブログはなかったでしょう。


アンソール NBS-J (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)

アンソール NBS-J (タッシェン・ニューベーシックアートシリーズ)

ジェームズ・アンソール―仮面の幻視者 (1983年)

ジェームズ・アンソール―仮面の幻視者 (1983年)

“恋する日本語”は美しい


 NHKの深夜番組の再放送として、2月上旬の夕刻オン・エアーされていた「恋する日本語」が印象に残ったので、その番組のソースとなった同名ショートショート集を図書館から借りて読みました。(小山薫堂:こやま・くんどう)著。



 NHKの番組は、女優・余美貴子が「古い日本語」を売る商店「ことのは」の店主で、「北乃きい」など若い女性が訪れてくるという設定でした。ゲストは毎回替わります。


放送で特に印象に残っていたのは、「玉響の:たまゆらの」でしたので、その項を読んでみました。こうあります:


玉響:ほんの少しの間。




南イタリアの、海に面した
小さな町へひとりで旅に出た。


道に迷って困っていると、
一人の男の子が私に声をかけてきた。


彼は得意げな顔で、
細い路地裏の坂道を下り、
町の大通りまで私を案内してくれた。


そのお礼に、小さなボーイフレンドと
ちょっぴりデート。


心の傷が少しだけ、癒えた。

44P−45P

右ページに見出し語を書き、左ページに気の利いたショートショートが書いてあるのです。そのコンセプトは、


「何かの調べものをしていて辞書をめくっているとき、「刹那:せつな」という言葉を見つけました。

それは僕にとって、しばしば耳にするけれども、よく分からない言葉の一つでした。そして「意識の起こる時間」という意味があるのを知ったとき、それはつまり、人を好きになる瞬間なのだな、と思いました。そして、次の瞬間、ひらめいたのです。


日本語とは、恋をするために生まれた言語なのだ、と。」(あとがき)


もっとも、私がNHKの番組を見て感嘆したのは、この本文ではなく、万葉集に収められた歌の美しさに惹かれたのであって、ちょっと拍子抜けしました。NHKは、原作に少々手を加えているようですね。(それはこの事例の場合、大いに歓迎なのですが。)以下のように。


たまゆらに昨日の夕、見しものを
今日の朝に恋ふべきものか』    万葉集:作者不詳

http://54820276.at.webry.info/201101/article_19.html
参照。
こうあります:

●玉響(たまゆら)・・・・・・・ほんの少しの間
                
たまゆらとは・・・玉が揺らぎ触れ合う音が微かなことから
          ほんの少しの間という意味を現す

たまゆらは、一目惚れの初恋に歌い上げられたこの歌に
使われる言葉」


かつて、ある女性と、偶然「ふ」と、指の先が触れて、お互い感電したようにビクッと手を放して、その後、恋愛関係になったことがあるのですが、この「たまゆらの・・・」の和歌に通じるものを感じたのです。そのとき、私たちは確かに「玉」でした。そして、かすかな音を出したのです。


 私は以前、アメバブログもやっていて、そのブロガーの中に200文字恋愛作文を書いているひとがいました。まあ、こういった出版の世界では、「早いもの勝ち」といったような風潮があるので、もしこのブロガーがその作品を発表していたら、優先権を獲得できたとも思われるのです。このような出版事情について、この作品の出版元である幻冬舎は、とても目が鋭いと思います。この本は、だいたい一話100字程度の字数で、新書版サイズですが空間が多い書き方になっています。私は15分で読了しました。


 今日のひと言:ただ、この本、税抜き価格で1300円します。ページ数150、右ページが語句とその説明だけだとすれば、実際には半額の700円くらいで妥当な値段だと思われるのです。ショートショートというか、散文体の詩集であるとも考えられる本作品です。なお、昨今、流行するアイテムの共通点として、「〜〜する」という動詞を冠する商品、作品があります。「恋する天才科学者」(内田麻理香)、「食べるラー油」とか。この点も幻冬舎は見逃していませんね。

恋する日本語 (幻冬舎文庫)

恋する日本語 (幻冬舎文庫)

恋する天才科学者

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