虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

竹山洋・日本サイテーの脚本家



 とにかく、この人の脚本は「酷い」。よくNHKドラマで脚本を書いていましたが、アサドラ「天花:2004」では、当時の最低視聴率を記録し、大河「秀吉:1996」「利家とまつ:2002」でも、変な脚本を書いています。


 「利家とまつ」について言うと、利家が「目指せ!百万石!!」と家臣たちの間で盛り上っている一シーンがありました。


 私は大笑いしました。



 前田利家が100万石を誇るようになったのは、結果であり、石高を目標とする戦国武将がはたしていたでしょうか?利家だって、もっと理想が高かったのが実際だと思います。
一方、内館牧子脚本の「毛利元就」では、主人公・元就は、「中国地方統一を夢にするようでは、中国地方は切り取れない、まして日本の覇権は握れない」と発言しています。



 竹山洋(たけやま・よう)の脚本は、利家の気宇を、せいぜい現代人の視線に迎合させて、縮小させてみているだけで、時代の伊吹を感じられないような凡作です。



 また、「秀吉」では、茶々(後の淀君)に対し、お市の方(茶々の母、織田信長の妹、浅井長政柴田勝家の妻)が、(秀吉に対し)「美しい刺客になれ」と遺言したのに対し、「はい、美しい刺客になります」(←お笑い!!)と答えて秀吉の妾(めかけ)になるのですが、「その刺客ぶりを見せることなく」ドラマは終わってしまいます。このやりとりだけでも変なのに、伏線を活かさないというのも変な話です。視聴者の頭には、後の茶々がどうなるか、知っているだろう、という「甘え」が竹山にはあるのかも知れません。それならそれで、「新解釈」で茶々の後ほども描くべきでしょう。


 さては、新基軸の脚本か、というとそうは思えず、ただ単に脚本に載せ忘れたのでしょう。一つの話しのなかで、必要な=脚本に書いたことを、実際に続きを載せるのが当然なのです。「書いたら、書きっぱなし」、それが竹山の手法です。ケリもつけない。


 また、「天花」の評価で際立っていた、あるブロガーの発言として「竹山さんは、男女の恋の機微を知らずに脚本を書いていたのでは?」というのがありました。


 現代劇でもダメ、時代劇でもダメ・・・


NHKは、どうしてこんな脚本家を重用するのか、不思議でなりません。さらに、2007年4月、紫綬褒章(しじゅほうしょう)受章という快挙を成し遂げています。紫綬褒章受章って、それほど権威のないものなの?(天花、秀吉、利家とまつ)が評価されたのは事実ですね。


そこで、
「歴史そのまま」と「歴史ばなれ」
 森鴎外が以前言っていたのですが、歴史を扱う小説には2種類あると。一つは、その時代の感性・倫理をそのまま扱うという「歴史そのまま」と現代人向けにアレンジした=当時の感性と倫理を無視して現代人に提供する「歴史離れ」があるというのです。
 竹山洋の脚本は「歴史ばなれ」の最たるものかと思います。



 あの100万石の場面で私が大笑いしたのは、以上の理由があるからです。



 今日のひと言:最近は竹山の脚本でのドラマはあんまり見ないけど、ここに書いたような「破綻脚本家」なので、またドラマの脚本を書いたら、恐いものみたさで見ることがあるかも知れません。期待は出来ませんがね。


これは夏の柿?



 これは、最近は、夏でも柿が取れるのか、と思えるくらい柿ですが



これは柿ではなく、「イエロートマト」と言います。ミドリ色なのはハーブのバジル(自家製)です。

なんだか、毎年ぞくぞくと新野菜が導入されるのですね。この「イエロートマト」は

 タキイ種苗が開発した「桃太郎」を基礎にして品種改良したものなのだそうです。タキイ種苗は、この「桃太郎」をキッカケにして、日本第一位の種苗会社に駆け登ったのです。

http://nukalife.blog68.fc2.com/blog-entry-147.html

↑そのことが書いてあるブログです。


私が今年スーパーでこのトマトに初めてお目にかかった際、どうみても柿に見えました。そして、この果実がトマトであることを確認するには、包丁で切ってみるまでは心からは解りませんでした。

そして、味は普通のトマトの味。

でも、それだけなら、(色を変えるだけの)品種改良なのなら、なにもわざわざ買って食べるほどのこともないな、と後で思いました。