虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

土建屋的発想の問題点〜〜桑の木の保存

 桑(くわ)の木が少なくなっています。私の住むY県でも、昔は養蚕業が盛んで、小学生のころは桑の実(ドドメ)の美味しさに舌鼓を打ったものですが。


 桑の木の葉は、勿論カイコにやるものですが、テンプラにすると絶品です。またお茶にもできます。

皮は紙の原料になるし、幹は炭の原料、根は漢方薬にできるのです。



 そんなに有用な植物なのに、この虐げられ方かた。我慢ならんのです。


だから、我が家の庭に移植しようと、考え、川原から2本、苗をもってきたのです。←ノアの箱舟

他にも、クコ、タネツケバナヤブガラシなどを移植しています。



それにしても、消費者自身が土建屋のような発想をするようになって久しいですね。土建屋は、例えば川原なら、そこに生えている植物を皆殺しにします。そして、自然界と、そこで住む生き物を、単純な図形に置き換えるのが好きですね。正方形、立方体、円、円筒、楕円、球などの単純な図形です。ダムは長方形のプール、水路は直線。道路も直線。曲線と捉えても数学的な曲線でないのが自然の形です。ここに、フラクタルな図形を見るのは、当然なことです。一定の面積のなかにある曲線で、長さが無限の曲線(たとえばコッホ曲線)を見出すのが現代数学です。数学のほうが土木工学より先んじているのです。それにしても、東大の土木工学科は社会基盤工学と改名されたようですが、もとの英語はcivil engineering (市民の工学)でした。


 自然がこのように単純な図形に置き換えられるとしたのは、キュービズムの発祥地となった画家のポール・セザンヌですが、彼はそれを実行はしませんでした。

 
 現代では、このような自然抹殺を肯定するようになっていますが、それでいいのでしょうか?
(人間も自然界の一員、自然界を滅ぼす力は自らに向かうでしょう。例えば、かつて専売公社が扱っていた塩。昔からひとは食塩(NaCl)だけでなくほかのミネラルも含んだ塩を摂取していましたが、これを食塩だけにする、というのは、なんだか生体実験をしているようで嫌でした。現在はにがり入り塩が出回っていますから、いくぶんかはましになったようです。)


 クコなんかの様に強い植物でも、年2回の除草で絶えてしまったようです。クコは灌木。水路などの場合、逆ハの字の水路本体の上が植物の生えているエリアですが、有用な植物を植えていけばいいものを、と思うのです。これだって、飢饉の際は役立つのに、ユンボで皆殺しするのですから・・・(なお、水路に生えるクレソンは私の食卓を飾ることがあります。)

 
 なお、この種の弊害は建築家も抱えていますが。以下参照してください。
http://d.hatena.ne.jp/iirei/20060708:「美しい景観」とは


今日のひと言:いざという時(災害時など)、食料はなんにもありませんから、野草を虐げる人は覚悟するべきでしょうね。



[rakuten:book:11117454:detail]

土建屋懴悔録

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