虚虚実実――ウルトラバイバル

森下礼:環境問題研究家、詩人、エッセイスト。森羅万象、色々な事物を取り上げます。元元は災害に関するブログで、たとえば恋愛なども、広く言えば各人の存続問題であるという点から、災害の一種とも言える、と拡大解釈をする、と言った具合です。

お笑い芸人の構成人員数と「数秘術」

2007.03.02  森下礼


だいぶ前、NHK総合テレビ・日曜の「笑いがいちばん」を見ていたら、「あさひ・のぼる」という芸人が一人で漫談をしていました。自動販売機が「ありがとうございました」と音声を流している間、買ったほうは、品物を取るため屈まなければならない、なんで、こっちが頭を下げなければならないんだ、おかしいだろう、なあ、みんなあ!!・・・とかいうギャグでした。私には大変印象に残りました。これから「あさひ・のぼる」は贔屓(ひいき)にしよう、と思いました。
ところで、お笑い芸人の構成人員数を、東洋占術とかカバラなどの「数秘術」で分析すると、どうなるでしょうか。カバラユダヤの占術で、以前研究したことがありますが、煩雑なので、東洋占術とか老子などで解釈することにします。老子第42章に「道は「一」を生み出す。「一」から二つ(のもの)が生まれ、二つ(のもの)から三つ(のもの)が生まれ、三つ(のもの)から万物が生まれる。」とあります。(老子:中公文庫:小川環樹・訳注)「一」というのは、始まりにして終わり。全体性を意味します。それだけで完全なのです。でも、そこに自らを省みたいという衝動が生まれて、「二」を要請します。人間世界で言えば「男女二人の組」。そしてその「二」が交渉すると、子供が生まれ「三」となりますが、この父・母・子の組み合わせで世界が紡がれるという意味であると、私は理解しています。なお、四という数字は「世界そのもの」を意味し、五という数字は「完成」を意味すると東洋占術では考えるようです。少なくとも、私はそう理解しています。
ここから「お笑い芸人」の構成人員数を考えてみましょう。
まず1人の場合。この場合は「ピン芸人」と呼ばれますが、上で述べたように「完結」しています。これはいい意味でも悪い意味でもです。この形態の芸人の場合、その人の才能が大きく芸とウケ、人気と結びつきますので、才能のない芸人は、まずこの形態を選びません。例えば「猿岩石」とか「ナインティナイン」のような無芸の芸人はコンビを選んでいます。落語家も「ピン芸人」でしょうが、既成の噺(はなし)という雛形があるので、いわゆる漫談のような苛酷さはありません。代表的な「ピン芸人」としては早野凡平ケーシー高峰堺すすむタモリ金谷ヒデユキ劇団ひとりなどが挙げられます。
 次に2人の場合。このパターンが一番多くて、いわゆる「ボケ・ツッコミ」の漫才となります。ボケが男、ツッコミが女の役どころであり、男女関係はお互いの切磋琢磨という努力が前提で維持されるように、適度な緊張関係が自然に継続し、ピン芸人ほどの苛酷なネタつくりは求められません。ある意味長持ちする王道の「お笑い芸人」です。「お笑いコンビ」という言い方もあります。ツービート、やすきよ爆笑問題ドランクドラゴンなどを初め、多数挙げられます。
 3人になると、「お笑いトリオ」と言われますが、この数字は1と同じく安定しているので、2人に比べると難しくなります。これまで名をなした「お笑いトリオ」はてんぷくトリオコント赤信号ネプチューンなどくらいしか思い浮かびません。3人の場合、2:1のような仲間割れのようなコントが演じられることが多く、意外にヴァリエーションに乏しいのです。「いじめ」の話が前面に出てくることも多いようです。
 4人以上の場合、「お笑いグループ」「お笑いユニット」と呼ばれますが、これほどの大人数になると、気の利いたコントを放つグループは非常に少なくなり、だいたい音楽を使った散漫なギャグを提供するだけの芸になることが多いです。成功例としてはクレイジーキャッツドリフターズといったところですが、玉川カルテットなどは、出てくると、私はチャンネルを変えてしまいます。4は、世界を示す・・・その意味では、詰まらないのが世界の真の姿かも知れません。
 面白いことに、数秘術では安定な1とか3は「お笑い」では不安定、数秘術では不安定な2とか4とかは「お笑い」では安定ということになるでしょうか。「お笑い」の世界はパラレルワールド?「お笑い」の世界は「錬金術」の世界?
いえいえ、これも数学理論で説明がつくのです。「クラインの4元群」、これは私の家族のバックボーンなのです。