壮大なるファンタジー:浄土系仏教のロジック
壮大なるファンタジー:浄土系仏教のロジック
ここで話題にするのは、根本経典を無量寿経などに取る、具体的には浄土宗、浄土真宗です。この宗派の発想は、もと大乗仏教の3つの経典(浄土三部経)について、これらの宗派の発案者:中国(ないし西域)のある僧が、驚くべき思考のトリックを発明するのですね。(中国では、唐の時代には、浄土宗と呼び得るものが存在していたと聞きます。)
「阿弥陀如来(あみだにょらい)は、自分に縋って来る者、全員を極楽浄土に生まれさせない限りは、自分も成仏しない、との願を立てられた。(無量寿経にある、阿弥陀如来48願の1つ、第18願に拠ります。)いま阿弥陀如来は、ちゃんと如来になっていらっしゃるのだから、我々も、極楽浄土に生まれ変わるのが確定しているのだ」という、体操でいう「ウルトラF」(私はスポーツ放送をほとんど見ないので、超難度技のランク付けは知りません)という見事な着地で、ロジックを組み立てているのです。
それ(浄土3部作など)は、しかし、仏陀入滅後、500年も経ってから成立した大乗仏教の1経典にしかすぎません。仏教の始祖である仏陀ではなく、後世の僧たちが勝手に作り出したものであり、どこまで正当性のあるお経なのか、不分明です。(これは、浄土宗などだけでなく、法華経を根本経典とする日蓮宗などにも共通する通弊です。)
論理自体は、極めてインパクトのあるものに間違いありません。思考上のアクロバットと呼べるでしょう。ところが、その思考自体がそのまま浄土系仏教の弱点になります。依拠する根拠が、大部のお経の一節であるに過ぎないという点が弱いのです。仏陀の教えには入っていない、創作であるお経の「一部のみ」取り出し、それを典拠(土台)にして、壮大な構築物を立てたようなものです。
さて、そのような大慈悲を感じさせてくれる「阿弥陀如来」とは、何者なのでしょう?「阿弥陀」とは「無限(無量)に大きな光」といった意味でした。その意味では大日如来と「光」で繋がります。もっとも、本来なら如来と呼べるのは仏陀(釈迦)だけではないでしょうか。釈迦如来のみ。それでは、阿弥陀如来、大日如来、薬師如来たちは、どこから出て来たのでしょう?・・・もちろん、大乗仏教の諸経典の記述者たちの「独創」なのだと思います。つまりは、仏陀の死後500年経ってから書かれた「フィクション」に過ぎません。
私がそう断定することに異義ある仏教徒は多いと思います。なら、一歩譲って「ファンタジー」という表現はどうでしょうか。ただ、この論旨上、さほど良い意味で使っているのではありません。ファンタジーとSFは似ている分野ですが、SFでは、その作品がいかに常識外れでも、科学的な裏付けを用意しています。思考実験でもあるのです。一方ファンタジーには、読者が「未体験ゾーン」を楽しめるように工夫を凝らしますが、科学的な裏付けはありません。現在では、本格的なSFより、ファンタジーのほうが「読みやすい」ので、振るっていると思われます。
仏教というものに文学があるとすれば、仏陀本人にまつわる経典、文献は「根拠(仏陀の言動を忠実に記す)のある」ものです。その意味でSF。仏陀亡きあと書かれた経典(大乗仏教の経典群)はファンタジーとなることになるでしょう。
今日のひと言:ほんとに、「阿弥陀如来」は自分に縋り付くものを、全員西方極楽浄土に生まれ変わらせることが出来るのでしょうか。仏典に出て来るだけの架空の人物ですよ、この仏さま。もう一つ言わせてもらえば仏教という宗教はいわゆる「偶像」を設定するのが好きで、人格神である仏さまが多すぎます。そして、如来さま、仏さまの数だけ、分派が多いのです。その意味では、浄土系仏教と日蓮系仏教は、「兄弟のように」よく似ています。だいたい、念仏やお題目を唱えるばかりで、どうして「救われる」のでしょう?「あの世」は、そんなに甘くありません。
追記として、浄土系仏教とよく構造が似ているとヨーロッパ人たちも認めるキリスト教も、あやふやな典拠(土台)の上に、大構築物が立てられています。ギリシャ語で書かれた新約聖書の原典に「イエス・キリストは少女が生んだ」といった記載があったところ、ラテン語への翻訳者が間違えて「イエス・キリストは処女が生んだ」と誤訳し、その生物学的な誤りをどうにか取り繕うため、三位一体(trinity)という、キリスト教的で、超難解な論理体系を「構築」してしまったと聞きます。いやあ、宗教なんて、洋の東西を問わず、いい加減なものです。
@@宗教とは、思い込む、また思い込ませる体系です。よく似ているとされる哲学とは、まさに対極にあるのです。哲学とは「思い込む・込ませる」ことではなく、「自分の頭で考える」ことだからです。
参考過去ログ
今日の詩
@お釈迦さま
お釈迦さまは、普通の人だ。
お釈迦さまについて「書かれていない」お経は普通にある。
だから「法華経」「無量寿経」「理趣経」などは普通ではない。
(この詩自体が、書いた私本人にも意味不明です・・・・。)
(2021.10.13)
今日の6句
蔦(ツタ)の株
プランター植え
奇特かな
ツタをプランターに植えるという発想に驚きました。
(2021.11.03)
生花店
前に漂う
菊の香や
菊の季節ですねえ。
(2021.11.05)
カタバミと
トウカエデの葉
コラボする
カタバミの花とトウカエデの落ち葉が、赤系の色で映えます。
(2021.11.06)
炎(ほむら)立つ
農家の焚き火
見逃され
一般人が野で火を熾す(おこす)と、「放火」と言われるのに。
(2021.11,07)
煙吐く
病院前に
四仏(よんほとけ)
某総合病院には喫煙室がないので、病院外で並んで喫煙していた、濃紺の衣服の4人の職員。「傘地蔵」みたい。吸いたい職員も多いので、喫煙室を設けるのが得策。病院外で吸って、道行く人に顰蹙を買うよりは良いでしょう。
(2021.11.07)
人が去り
葛(クズ)が住み着く
廃屋や
(2021.11.10)
今日の写真集
パワーショベルに踏みつぶされても、真っ先に新芽を出すギシギシ。
(2021.11.07)
これまでも触れてきた、柿の木が完全に伐採されました。
(2021.11.10)
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『図解保健体育』(高校教科書):医学への導入に当たる科目
『図解保健体育』(高校教科書):医学への導入に当たる科目
私は以前、朝ゴミ出しされた物品を拾う趣味があり、金物、陶器、書籍などを拾い集めていました。その中には今でも大切に使っているものもあり、中国の古典『易経』とか、小鍋(ゲンノショウコなどの薬用植物を煎じるのに最適)とかがあり、面白い所では、中学・公民の教科書にあった「米代、銭湯、鉄道初乗り料金、理髪料」などの経時的上昇の一覧表から、理髪料の上昇が他の料金より高騰していたことを読み解き、ブログに記載したことがあります。
:理髪料金の不思議
さて、『図解保健体育』(一橋出版)。保健体育と言えば、中学生という思春期まっただ中、女性の乳房が描かれたイラストに異常な興味を示す男の子(私も含め)の姿があり、これっきし授業については覚えていません。さらに高校に進んでからは、保健体育の授業があったかどうかも定かではありません。生き物に関することで言えば、ちょうど中学の理科2分野の延長上に生物の授業があった程度で、高校の4つの理科の科目・・・物理、化学、生物、地学のうち、理工系を目指していた私などは物理と化学は熱心に学びましたが、生物、地学は通り一遍の授業がなされ、また学生もこの2つには熱を入れている者は少数派でした。
人体の取扱説明書(ニュートン別冊)
そして、案外落とし穴であることとして、高校の生物は、細胞の構造などについては詳細に教えますが(DNA、ミトコンドリア、ゴルジ体など)、人体の各部の働きについては、中学の理科2分野を「継承していません」でした。この辺、くっきり欠落しているのです。そこで、拾った『図解保健体育』ですが、この教科書に目を通して、しっかり理科2分野の人体に関する記述を継承しているのに驚きました。
この科目は大きく2つに分かれていて、1)スポーツ生理学 2)人体の機能 となっています。スポーツ生理学は、各種スポーツを行うに当たってどんな生理的現象が起きるのかを分析するもので、ちょうどこのセクションは体育系大学の教程に接続するのですね。
人体の機能についてなら、脳の機能、呼吸器系、循環器系、泌尿器系、および生殖器系などについて過不足なく知識が伝わるようになっています。これは、医学系大学に繋がる大事なものであり、高校の正規の授業からは零れ落ちるコンテンツを補完するようになっていると思われます。
更に、特記しておきたいのは、日本という国が明治時代以来行ってきた愚行・・・公害問題についても、記載があることです。大気汚染、水俣病、イタイイタイ病、騒音、地盤沈下、化学物質(PCBなど)について、かなりのページ数を割いて記述していることです。このような諸問題とともに、不運にもこれら公害に由来する病気になったときのケアなどについても記載されているのが斬新です(公衆衛生)。労働災害なども詳細に記載され、いかにも総合科目と言った盛りだくさんの内容です。
今日のひと言:この教科書、環境問題については、私がその問題(特に水問題)を専攻していたころの東京大学工学部都市工学科・衛生コースで教わったことより高度な内容を持っています。あのころ、私が選んだ衛生コースは「最低の」授業内容を誇り、なんでも「日本船舶振興会」のパンフレット・・・「ダムは観光資源として優れている」とかいう下らないものを考察してレポートを書かされるアホな演習(必須)があったくらいです。担当の助教授(当時)は、水処理会社の営業をしていたときに多額の賄賂を扱っていたと自慢げに語る下らない人だったのです。
現在は、環境科学コースと「スマートな」名称に名を変え、ここを目指してくる偏差値の高い学生が多いようです。私が学生のころは、「おしっこ・うんち」を扱うので、学生は忌避する者が多かったのです。こうなると、あの助教授の居場所はないでしょうね。もっとも、それは、相対的な問題で、いまの「環境科学コース」が優れているという意味ではありません。
『図解保健体育』改訂版 1993年 出版 (最近知ったのですが、良心的な、主として商業高校の教科書を主に扱っていた一橋出版は、2009年に業績不振で、倒産したそうです。)
今日の詩
Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)という言葉で、最近よく聞くようになった。言葉としては持続可能ということと、それに相反する開発ということが、ひとつの言葉のなかに共存している。昨日見たTV場組では、「コーヒーの搾りカスをリサイクルしました」、とかいう消費者が取り上げられていた。・・・でも、これは欺瞞だ。この種のリサイクルをやって、なにか環境に優しいことをやったと、自己満足に浸っているに過ぎない。こういう人に限って、水洗トイレをなんの疑問も抱かず使っているだろう。ここが問題なのだ。水洗トイレは、人間が発明したものの中で、最悪のものの一つだ。自分の出した排泄物に、なんの責任も負わずに、環境汚染の片棒を担ぐのだから。SDGsは、その意味で、ツマズキの石である。水洗トイレではなくコンポストトイレのほうがまだマシだ。厨房ゴミより糞尿の処理のほうが、環境に与える影響が大きいだろう。大学の先輩の衛生工学者は、国連で働いていたが、こと水処理では、水洗トイレをイメージした仕事をやっていた。これではダメだ。
(2021.11.03)
今日の4句
露か霜?
ホトケノザ濡らす
煌めきは
どっちが空から降ってくるかは、いまの時期解りません。
(2021.10.28)
公園の
木の枝打ちで
目が覚める
毎年、晩秋~初冬に行われる公園のメンテ。チェンソーの音が喧しい。一昨年にはハクモクレンの枝を減らし過ぎ、翌年はたいして花が咲きませんでした。
(2021.10.29)
目立つなあ
このサルビアの
赤花は
冬であっても、元気、元気。
(2021.10.30)
日陰にて
しずかに咲くや
ヤツデ花
ヤツデはウコギ科の植物で、この科の植物としては珍しく、食用にはなりません。薬用にはなるとか。
(2021.10.31)
今日の写真
アフリカン・マリーゴールド。畑に一株残っています。生物農薬として、数メートル圏の線虫を殺すと言います。 (2021.10.31)
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